土曜日, 5月 31, 2014

松本クラフトフェア 2014

「松本クラフトフェア 30周年行ってきました」

毎年のように愉しみに伺っている松本F も今年で30周年! 今や日本一のフェアと成り 多くの来客者で賑わっています。   今年も2日間晴天に恵まれポットします。

もともとは5・6件のもの作りの作家さんから始まったと聞いています、それがどんどん広まって、今では250人のもの作りの作家さんたちが全国から応募・選抜されて参加しているのですから、規模の大きさは大変なものです。
30周年イベントが松本街中 あちらこちらで行われていました。

毎年 お付き合いのある作家さんが参加されているので、テントに伺って作品を拝見したり、おしゃべりをしたり その間もどんどん来客者があるので 対応に追われて忙しそうです。
イベントの一環なのか 前衛演劇集団?!の ねり歩きが校庭内であり、摩訶不思議な雰囲気に見とれて・・・・・?!
奥の芝の広場では 30周年記念の「餅つき」が開催され来客のみなさんに振る舞われました。
また 生バンドにはちびっこがドラムを叩くバンドが入り賑やかなひと時を愉しませてくれます。
私の好きな 小峰美省さんの筆さばきが素敵な絵付けのカップ!! どんな方かな?って思っていたら ばったりクラフト出会れて とっても嬉しかった!! ご夫婦共に陶芸家でした。
とても絵付けが手早く しまも個性的で素敵なうつわです!!  勿論自分用にGet!
 

 
 

中丸貴幸さんのか皮革工房 や 針金細工のアクセサリーも可愛い!! 境知子さんの陶磁 大きな土瓶や 気に成るものはどんどんあり、 たくさんのテントのある数分 素敵な物語があるんですよね。
お気に入りを探しに来年は来てみませんか?!  松本の街あげて愉しめる2日間になりますよ。
2日目は 好きなギャラリーを廻って、美味しいそばを頂いて、一路東京へ帰ります。 今回も素敵な作家さんに出会えました! ありがとう!!
 
 
街中では「いこいのひろば」 で「写真&映画 まち展」があり 夜 野外映画放映がありました。 ちょうど松本クラフトの20年前の様子が放映中で 近くの焼き鳥屋で飲んでいたので、ラッキーなことに参加できました。                                              
信州大学の学生さんたちが 準備をしてクラフトフェアのイベントの一環を担っていました。   放映後は親睦を兼ねてフリードリンク 参加者同士おしゃべりが愉しめます。 とてもいい企画だったと思います!   松本には昭和初期の建物がまだ伺える場所が沢山点在しています、夜の散歩がてら歩いてみました。
 

下は「まるもカフェ」 旅館もしています。 レトロな雰囲気の素敵なカフェ。

「やきとり とり八」は偶然でしたが、TVでお馴染みの 吉田類さんが訪問取材した店でした。 6/9 放映だそうです。(笑)
「photo&movieまち展」 はとり八さんの前の広場で開催されました。

 
 

土曜日, 5月 10, 2014

「益子陶器まつり GW 2014」

GWも終わり まるで祭りの後状態?!  別に特別のこともしていないけど ・・・そんな感じの人は結構いるみたいです。

昨年は「笠間火祭り」に行ったので、今年は「益子陶器まつり」にしました。  朝5時45分には世田谷を出発、高速に乗り一路 東北道・・・しかし東京を出た辺りから既に渋滞ぎみ、 参った!
結局10時頃目的地の益子IN。
                                         いつも訪れる作家さんたちの場所には顔見知りの作家さんもきていて、連休11日間の出店はとても疲れるそうで、地元の作家さんでも自宅に帰ったら、バタンキュ!だそうです。 (うん わかる様な気がします。)

連休前半は雨模様、後半は天候に恵まれ半そででもいい様な上天気でした。
この一角(見目陶苑・土空間)ではクラフトマンによるミュージック演奏で盛り上がっていて、多くの人達が愉しんでいましたね。
このおふたり息もピッタリ! 即興でも いけてます!

とてもフォルムが綺麗な花器です、磁器。  清々しい時季にピッタリな爽やかポットたち!

遺跡広場テント村裏にいた作家さんのコーナーです。 ちょっと惹かれます。

私は前から欲しかった素敵なOOに出会って うれしいー!!^0^

歩き廻っていたので、お腹ペコ、手打ち蕎麦が食べたかったのですが、どちらもいっぱいで思うところがありません。 ちょっと横道の奥にあった「陶知庵」にて昼食休憩します。 このお店奥が広く、何人でも入れそうな個室がいっぱいあるのでビックリ! 
連休だからこそ人でごった返しだけど、 平日はあまり人でも少ないのに、こんな大きなお店があるんだー?!
益子は若い作家さんたちが多いから、夜は飲んだりするお店も結構多いのかもしれないね?!

■ 本日のランチを注文! コロッケ& 唐揚げをチョイス、お味噌汁付きで850円 リズナブル。
白米・雑穀米・竹の子ご飯・赤飯 からチョイス。

折角なので 竹の子・ウド・野菜を買って帰ることにしました、 主人の好物の竹の子のお味はいかがなもんだったでしょうか? 朝掘りと云ってましたが?  煮物・炒め物・竹の子ご飯!
 
帰りは渋滞を考えて早めに益子を後にしたのですが、東北道の帰りも 佐野・辺りからのろのろ運転です。 アット云う間に35K渋滞、羽生Pで休憩タイム。 ここは最近オープンした「鬼平 江戸処」 江戸時代にタイムスリップしたような情緒あふれるPAです。  蕎麦・うなぎ・1本うどん・中華そば・江戸めし・くず餅・人形焼・屋台・みやげ処 etc  フードコートがあるので、好きなものを買って召し上げることができる様になっています。    一度寄ってみるのも愉しいですよ!!
 
夜7時頃帰えってきました。  それから 念願の手打ち蕎麦やへ食べに行ったのでした。笑 
 
 
 
                         ■東北道 羽生P 「鬼平 江戸」外見・内部







 

火曜日, 4月 08, 2014

「 飯野夏実陶展 2 」

                                                            


「飯野夏実陶展 拝見」
3月後半消費税8%にUPする直前の慌ただしさの中、この日はきっちり空けて作家さんたちから届いた個展に伺う日に決めて、午後から出かけることにした。

加藤喜道陶展の次は飯野夏実さんの作品を拝見、どちらの作家さんも手描きの筆使いがみごと!  美大を卒業後、京都伝統工芸大学陶芸科で小野多美枝先生に師事、先生との出会いにより更に絵付けを習得して飯野さんの基礎となります。  小野多美枝先生は明治初期から大正期にかけて欧米に輸出された人気の高い「京薩摩」を独学で研究されて、現代の生活に合ったやきものとして創作している方です。


飯野さんが手がけていた ウクライナの工芸品ピサンキです。(卵工芸)
 これは蝋けつ染なんですよ! 綺麗でしょう!!



 ■飯野夏実さんのうつわたち
http://www.utsuwaclub-kyo.jp/artist_info.php/manufacturers_id/83?osCsid=e03e818252446a1aa6f2f3116817dfbf


 


飯野夏実さんが描かれたピサンキはウクライナに伝わる、ろうけつ染めのイースターエック。

月曜日, 4月 07, 2014

  「加藤喜道陶展・飯野夏実陶展 拝見 1」

   「 加藤喜道 + MORE 作品展  」

             
長い冬の冬眠から覚める様に春の訪れと共に 作家さんたちの陶展が開催中、
たくさんの作家さんから嬉しいお知らせハガキが届きます。  本来なら全ての作家さんの作品展に伺いたいのですが、4月1日からの8%の消費税の影響やら準備で毎日追われる日々で中々時間がとれず、今回は日々の合間にお二人の作家さんの作品展を訪ねてみました。

まずは 「加藤喜道+MORE 作品展 」 加藤さんのうつわの特徴は何しろ手描きの絵付けの好きな作家さんだなーぁって、感じます。  古典柄や着物柄をオリジナルにデザインして殆どフリーハンドで描きこんでいきます。  赤絵や金彩やカラフルな絵付け、 時には可愛らしく、根気強くチャレンジされたうつわたちは親しみ易くさえ思うのです。

加藤さんはとても器用な方でお菓子つくりやお料理も上手です。 お邪魔したギャラリーさんで出してくださったお茶とお菓子も実は加藤さんのお手製でした!!

「加藤喜道きまぐれランチ」の予約もあり 限定数で加藤さんのこれまた お手製のランチが召し上がることができるんですよ!! なんて素晴らしいー!!

実は我が家のご主人様も休みの日など気まぐれに料理をするので、加藤さんとギャラリーオーナーと3人で話が弾んでしまいました。笑

世のお料理やさんもレストランのシェフも男性が多いのだから、けして驚くことではないのですが・・・・何故に? こんなに美味しいのか!?  男性の方がセンスがいいのだろうか?!                              
また 加藤喜道さんに注文をしてきましたので、できあがったらご紹介して参りますね。



木曜日, 3月 20, 2014

【 書家・相田みつをに見る プロフェッショナルの流儀とは? 】

日 ◆


今年、生誕90年周年を迎えた
国民的書家・相田みつをさん。


誰もが一度は聞いたことのある


「つまづいたっていいじゃないか
 にんげんだもの」


という詩に見られるように、
柔らかい語り口が
特徴といえるでしょう。


しかし、それとは裏腹に
書に向かう姿勢は
実に鬼気迫るものがあったといいます。


ご子息で相田みつを美術館館長の
相田一人さんが語った
「相田みつをのプロフェッショナルの流儀」とは――。


┌────今日の注目の人─────┐



  「書家・相田みつをに見る
 プロフェッショナルの流儀とは?」


 相田一人(相田みつを美術館館長)
         
     
 ※『致知』2014年4月号
 特集「少年老い易く学成り難し」より


└────────────────┘

※対談のお相手は
 円覚寺管長・横田南嶺氏です。


相田 父の詩というのは表現が分かりやすいのが特徴でして、
   ある意味で入りやすい、間口が広いのかなと思います。


ただ作品の語り口とは裏腹に、
書に向かう姿勢は厳しかったですね。


横田 書いている時は家族でも近づけないような?


相田 それはもう、凄い緊張感があって
   側には寄れなかったです。


私の父は我がままでして、自分が一番書きたいと思う時間、
自分の気持ちが高まった時しか筆を執らないんです。


要するに気分が乗らないと筆を執らない。


ただ、筆を執らない日は一切なかったんですね。


父がよく言っていたのは、
一日書かない日があると調子が戻るまでに
十日くらい時間がかかると。


また、


「例えば十年間作品を書かなかった小説家が
 いきなり傑作を発表することはあるだろう。
 しかし十年間筆を執らなかった書家が
 カムバックしてもろくな書は絶対に書けない」


とも申しておりました。


書というのは肉体の訓練がないと、
いくら頭の中でシミュレーションしても
書けないということだと思います。


だいたい夜中のほうが気分が乗ってくるようでしたが、
ちょうどいま頃の季節は、故郷の足利は寒いんですよ。


夜更けに書いていると墨が凍ることもあったそうです。


しかし写真のように仕事場は失敗の紙の山ですから、
ちょっとでも火の気があったら一瞬で火の海です。


だからストーブなどは置かずにやっていました。


横田 お聞きするだけでも鬼気迫るものがありますね。


(中略)


相田 うちの父は色紙を嫌っておりましてね。
   晩年、講演などさせていただいた後、
   聴衆の方に「何か書いてください」と持ってこられると、
   なるべく断っていたようです。


それでもどうしてもという場合は、
その場では書かず、お預かりして
仕事場に持って帰ってきていました。


つまり、どんな書も全力で書くので、
自分の一番集中できる空間、愛用の道具でしか書かない。


預かった色紙と同じものを一箱くらい紙屋さんに注文して、
何枚も書いて一番よくできたと思われるものを
送って差し上げていました。


横田 そこまで徹底されていたのですね。


相田 はい。書に対しては一切妥協しなかったですね。
   どんなに貧乏をしても道具類は
   最高のものを買い求めていました。


「自分はプロだ」という意識が強かったようで、
プロという看板をさげているからには
4回以上個展を開いている人間でないと
名乗っちゃいけないとも言っていました。


というのは、1回目は皆がお祝いで買ってくれると言うんですね。
初めての展覧会だからお付き合いで買ってあげようと。


2回目は、前回お付き合いできなかったから今回は買うよ、
という人がいて、2回目も何とか売れるらしいんです。


しかし3回目からは実力がないと一切売れなくなる。
つまり義理買いがなくなるということです。


プロの看板をさげるからには
4回以上個展を続けていないといけないと、
十数回目の個展を終えた後に申しておりました。


  * * *


相田みつを。
いまなお多くの人々を魅了してやまない
琴線に触れる名詩の数々――。


……続きはぜひ『致知』4月号P66~P76をご一読ください。

火曜日, 2月 18, 2014

【誰よりも遠く・高!限りないジャンプの魅力に惚れて 葛西紀明】

一昨日、日本中が歓喜に沸きました。


ソチ五輪スキージャンプの
個人ラージヒル種目で
葛西紀明選手が銀メダルを獲得。


41歳でのメダル獲得は
冬季五輪日本勢で最年長の記録となりました。


7度目のオリンピック挑戦にして、
ようやく悲願を達成した葛西選手が
直後のインタビューで語ったこと。


それは、


「金メダルという次の目標に
 向かって頑張ります」


というものでした。


真のレジェンドを目指す葛西選手の
飽くなき挑戦心に迫る――。


┌────今日の注目の人───────┐



   「誰よりも遠く、高く!
  限りないジャンプの魅力に惚れて」
         

      葛西紀明
 (ソチ五輪スキージャンプ
  男子個人ラージヒル銀メダリスト)

     
 ※『致知』2005年8月号
   特集「彊めて息まず」より


└──────────────────┘


やはり心技体、どれか一つでも欠ければ
絶対に世界は取れません。


パーフェクトなものをつくって臨まなければ
金は取れないと思うのです。


だから僕は、1シーズン通して
全部完璧なジャンプで終わらせたい。


そうすれば、オリンピックでも
金メダルを取れると思うし、
世界選手権でもワールドカップでも優勝できる。


そのためにはどうすればいいかを
ずっと考えながら、
きょうまで20年以上厳しいトレーニングを
積んできたのです。


それでも、本当に完璧と思えるジャンプは、
これまでに2、3回しかないんです。


――あぁ、わずかに2、3回……。


子どもの頃は、ただ跳ぶことが楽しくて、
何も考えずに跳んでいました。


社会人になってからは、
たくさんのスランプも経験して、悩んで、
技術的にもいろんな模索をしてきましたが、


そういう中で子どもの頃のように
無心で自然なジャンプができれば、
完璧なジャンプに近づけると思うんです。


幸い、若い頃から血を吐くような練習を
ずっと続けてきましたから、
32歳のいまでも、体力の面では
世界トップレベルを維持できています。


むしろ少しずつ伸びてさえいます。


――それは驚異的なことですね。


精神的にも、年を重ねていく中で、
悔しいこと、辛いこと、
たくさんの修羅場をくぐり抜けてきて、
常に安定した状態を保てるようになりましたね。


さらに、4年前に移籍してきた土屋ホームが
全面的にバックアップしてくれていますから、
心置きなく練習に打ち込むことができます。


(中略)


僕は負けず嫌いだから、
とにかく練習していなければ
勝てないと思って、
これまでは休むことを知らなかった。


でも、それが逆に悪いリズムを
つくっていたんですね。


毎年2月になると
成績がガクッと落ちるんですよ。


コーチから、


「これはたぶん疲れだ。
 もっとリフレッシュしなければ
 本来の力を発揮できない」


と言われて、1月の試合の後、
次の世界選手権までの間に
必ず1、2週間休むようにしたんです。


最初は、こんなに休んで大丈夫かって不安でしたね。


しかし、そうして臨んだ2004年の世界選手権では、
ノーマルヒル、ラージヒルでともに銅、団体で銀と、
1度に3つのメダルを取ることができ、
ワールドカップでも最年長記録を塗り替えて
31歳と8か月で優勝を果たすことができたのです。


――悲運に見舞われても、勝利に恵まれなくても、
  ひたすら挑戦を続ける。ジャンプの魅力は何ですか。


ジャンプというのは特殊な競技で、
誰にもできるわけではありません。


自分の生身の体で跳んでいくこと。
危険の中で誰よりも遠く、高く跳んで勝つこと。


その喜びに、僕は惚れたんです。
これはもうやめられないですね。


――だからこそ「彊めて息まず」厳しい練習を
  続けてこられたのですね。


「彊めて息まず」。好きですね、そういう言葉は。
僕の好きな「継続は力なり」という言葉にも
通じるものでしょう。


その言葉に少しでも近づけるように、
僕はこれまで努力を続けてきました。


その間にいろんな不運にも見舞われましたが、
おかげで精神力、忍耐力もついて、
金メダルへの思いを途切らせずに
ここまでくることができました。


この言葉に着実に近づいてきた
という実感があります。

月曜日, 2月 10, 2014

【伸びる人と 伸びない人の差】

先日開幕し、連日熱いドラマが
繰り広げられているソチオリンピック。


今大会、最も金メダルを期待されている
注目選手の一人といえば、
フィギュアスケートの浅田真央選手でしょう。


浅田真央選手を育てたコーチ、
山田満知子さんが語った
「伸びる人と伸びない人の差」とは――。


┌────今日の注目の人───────┐



  「伸びる人と伸びない人の差」

         

 山田満知子(フィギュアスケートコーチ)
 

     
  ※『致知』2006年4月号
    特集「根を養う」より


└──────────────────┘


はっきりいって、
頭が悪いのはダメですね。
学校の勉強じゃないですよ。


1を言って10を知るじゃないけど、
コーチがいま何を考えているかとか、
きょうは何を練習したらいいかとか、
こちらが何も言わなくても
察することができる。


そういう勘がいい子が伸びますね。


私の場合、
チャンピオンにするとか、
メダリストにするとか、
実はそれほど興味がないんです。


うちに習いに来て、3しか能力がない子を
5とか7とかにすることはできても、
もともと10の才能を持っている
天才にはかなわない。


五輪に出てくる選手なんて
みんな天才ですよ。


その天才たちがさらに天才的に努力をして、
やっとメダルに手が届くかどうか。
そういう厳しい世界です。


世界の頂点に立てるのは
天才の中の超天才だけ。


たまたま(伊藤)みどりや
(浅田)真央はなれましたけど、
なれない人がほとんどなんですよ。


そりゃ私も2番より1番のほうがいいですよ。
でも、たとえ5番でも、みんなから


「あの子、いい子だったね」
「あの人の演技って素敵だったね」


と言われるスケーターがいいなと私は思います。


だってジャネット・リンだって3位ですよ。
誰も1位の人なんて覚えちゃいない(笑)。


彼女のスケートのいろいろなシーンに人間性が出て、
それがいつまでも私たちの心に残っているんです。


だから私はジャンプができないとか、
スピンが下手とか、そういうことではまず怒らない。


礼儀とか躾のほうが多いかな。
反抗期の時、生意気だったり、
先生にプンみたいな態度でいる子には
「ちょっと待ったぁ!」と。


「私はあなたより年上で、
 しかも先生でしょう。
 いまの受け答えはないでしょう」


とはっきり言います。
要するに生き方の注意のほうが多いですね。


みどりはハートの強さと優しさが混ざった
演技をするスケーターでしたし、
真央は素直で自然体の愛らしい演技をする子。


それってそのまま彼女たちの性格ですよ。
人間性が全部スケートに出ているんですね。

日曜日, 1月 19, 2014

【 伊勢 おはらい町・おかげ横丁散策 2 】

【 伊勢 おはらい町・おかげ横丁散策  2 】     

伊勢神宮参拝後、お土産品や名物やお食事処が続くおはらい町やその奥に続くおかげ横丁を愉しみに散策してみました。 参拝者のほとんどの人達が道いっぱいに繰り出しているので、こちらも大変な混み様です。  お昼時でもあるので名物の「伊勢うどん」と「手こね寿司」を頂きました。
この「伊勢うどん」関東うどんとも違って、汁は真っ黒、うどんは太く茹ですぎの様に柔らかく汁はソースの様に掛っているのです。 初めての経験でしたので、ちょっと驚きでした!(笑)


おかげ横丁の角口にある「赤福」は大変な行列で賑わってますが、お土産買うにも大変そうですね。

 お正月のイベントに祝い太鼓が観られてラッキー!


2曲演奏がありました。演奏前に儀式があり会場が盛り上がってきます。  三重のしめ縄も地方性があって独特で、東京との違いも面白いです。 東京はどちらかと云うと縦長のしめ縄飾りですが、こちらのは横広ですね、だいだいと木札に「七福・門」などと書かれてますね。 おめでたい・子孫繁栄を願ったお札です。

 お正月ならではの風情も見られ伊勢参拝に来られて良かった! 何だか神頼みですが、でもやっぱり神頼みなんですけど、健康で良い年に成ります様に頑張ります!
神様どうぞ宜しく・・・・。(俗っぽい私ですが願がとどきましたでしょうか??)

 


*伊勢うどんのたれは甘味のあるたまり醤油です。うどんが柔らかなのは旅の途中に消化のいいものを食べさすため、熱い汁ではなく、たまりに搦め手食べ易くするためだとか、考えられた末の「伊勢うどん」だそうです。

■写真をクリックすると拡大されます。













五十鈴川から見たおはらい町の川沿い景色。








木曜日, 1月 16, 2014

【 神宮式年遷宮 伊勢神宮参拝から 1 】

 【 神宮式年遷宮 伊勢神宮参拝から  1 】

明けまして おめでとうございます
  今年も宜しくお願い致します。    

年の初めをお伊勢さんで参拝と思い一泊で伊勢神宮に行ってきました。
昨年10月2日に式年遷宮の儀式をされた(20年に一度の式年遷宮)
神様も新しい神殿でこの日本を見守ってくださっているのでしょう。
五十鈴川を渡ったとたんに神聖な領域に踏み込んだ感じがして玉石を一歩一歩進む程に清められていく思いがします。
正月3・4日でも多くの人たちが伊勢神宮に参拝されて、石段の前には長い列が続きます。

天照大御神にへのお願いことは自分の住所と名前を伝える事と聞いていたので
・・・・一億も人口がいたら、誰からか分かるように名乗るのは納得の様にも思えたが、初めての経験。

(神様に伝わったのかな?!)





内宮(皇大神宮)は正宮があります、20年毎に新正宮を造るために日本全国から檜を探して約8年掛で総檜づくりの社殿を完成させます。 内宮の建築物は総て檜で造られますが、橋下だけは強くなくてはならないので欅でできているそうです。千古の森に囲まれて、2000年の時を超えて古代のたたずまいを今日に伝えているのですね。

隣にある20年の歴史を感じる旧神殿はこれから解体されて各地の神社に木材が送られ、リサイクルして使われるそうです。 けして無駄にはしないのですね、納得しましたね・・・。

一般人のご祈祷をする神楽殿ではお札やお守りを受けられます。また能楽堂や池もあります。  甘酒の振るめがあったので頂きました。 午後からの参拝者は一段とましてきました。  宇治橋を渡り参道のおかげ横丁へ行ってみました。  No2につづく!   *下記は内宮神殿完成写真のコピーです。                              







月曜日, 1月 06, 2014

【吉田松陰が語った正月の過ごし方】

【人間力】吉田松陰が語った正月の過ごし方



◆ 致知出版社の「人間力メルマガ」-----2014年1月3日 ◆



┌─────1月3日の言葉─────────┐



  正月にはいづくにも
  つまらぬ遊事をするものに候間、
  夫れよりは何か心得になるほんなりとも
  読んでもらひ候へ


 (お正月にはどこでも
  つまらない遊びをするものである。
  そんなことより何かためになる本でも
  読んでもらいなさい)


    ――吉田松陰(幕末の志士)


   ※『吉田松陰一日一言』
     1月3日の言葉より



└─────────────────────┘



本日お届けした吉田松陰の言葉は、
2歳年下の妹に宛てた手紙に
書かれていたものです。


特典書籍の1つである『吉田松陰一日一言』には、
明治維新の精神的指導者である
吉田松陰の遺した名言、箴言が366も
収録されています。
ここでは1つだけご紹介しましょう。


■2月19日

天道も君学も一の誠の字の外なし。
一に曰く実なり。
二に曰く一なり。
三に曰く久なり。
故に実と一とを作輟なく
幾久しく行ふこと、是れ久なり。

(世間一般の道も、君子たるの学問も、
 たった一つ、誠の字のほかにはない。
 一にいう、実際に役に立つことを行うことである。
 二にいう、それだけを専一に行うことである。
 三にいう、ずっと行うことである。
 だから、実学を専一に、やったりやめたりすることなく
 ずっと行うこと、これが久である)


*********************************************************

  ●『吉田松陰一日一言』がもえらる!●
   2014年 新春お年玉キャンペーン
http://www.chichi.co.jp/kiji/2014-newyear/entry_nr.html

土曜日, 12月 28, 2013

【偉人を育てた母の言葉】


           『偉人を育てた母の言葉』

                   大坪信之(著)

          


└───────────────────────────────┘


 洋の東西を問わず、
 歴史に名を残した偉人には、
 幼少期にその人格を決定づける
 偉大な母の存在があるといいます。
 
 本書は0歳から12歳まで、
 約1000名が通う幼児教室を経営する著者が、
 アンデルセン、宮沢賢治、野口英世、
 エジソン、吉田松陰、北野武、乙武洋匡など、
 古今東西21人の偉人たちと、
 その母親に纏わる感動実話を紹介。

「どんなことがあっても、名誉と約束だけは重んじるのだよ」と、
 毎日のように言って聞かせたナポレオンの母。

「貧乏は恥ではない。貧乏に負けることが恥なのだ」
 と教えた西郷隆盛の母。

 いずれも、我が子を信じて成長を願う
 深い祈りと無償の愛が伝わってきます。

 それぞれの逸話を通じて、
 子供に備わる才能を花開かせるか否かは、
 母親の接し方にかかっていることが実感できるでしょう。

 森信三師は
「民族の将来は女性のあり方いかんによって決まる」
 と言われました。

 すべての母親に一読をお薦めしたい書籍です。


 ここではその一部を紹介いたします。
 

      *        *


「いずれあなたは自分にふさわしい状態になります。
 
 他の人の言葉にいじけてはなりません。
 
 自信をもって生きなさい。

 自信こそすべての成功の根源です」

         
           リンカーンの母・ナンシー




 彼(リンカーン)の家はとても貧乏でした。

 リンカーンが学校に上がる頃、
 彼の服装は同年代の子どもたちのからかいの的でした。

 新しい服を着ることができず、
 いつもツギハギのあるみすぼらしい服を着ていたからです。

 からかいに耐えかねた彼が母ナンシーに訴えかけたとき、
 彼女は彼を抱き寄せてこんな言葉を返したと言います。


「息子よ、まずこの家の家計を考えねばなりません。

 わたしたちは裕福ではないのです。

 家族みなが食べてゆくことさえ
 思うままになりません。

 そんな状態なのに、
 あなたはきれいな服が欲しいと言えますか?

 自分の家の状態にふさわしくふるまいなさい。

 いずれあなたは自分にふさわしい状態になります。

 他の人の言葉にいじけてはなりません。

 自信をもって生きなさい。

 自信こそすべての成功の根源です」


 この時以来、
 リンカーンは大いなる自信を持ち続けたと言います。

 経済的に裕福でないためにくじけそうになってしまうときにも、
 彼は決して自信を失わずにたゆまぬ努力で勉学を続けました。

 自信が彼の最大の武器となったのです。


       *      *


 また、『偉人を育てた母の言葉』出版を記念して
 「私を支えた母の言葉」をテーマに、
 現在100字エッセイの募集を行っています。

 「あの一言があったから私はやってこられた」
 というお母様の言葉や、
 その後の人生を生きていくうえで指針となった一言など、
 あなたの心の支えとなった
 お母様からの言葉をぜひお聴かせください。


 詳細はこちら
  ⇒ http://www.chichi.co.jp/kiji/131220-entry.html


 ご応募お待ちしております!!
 



◆ 子どもの才能を引き出す愛し方
……………………………………………………………………………………


   『偉人を育てた母の言葉』

         大坪信之(著)

木曜日, 12月 26, 2013

【西郷隆盛の人格を創り上げたもの】



  「西郷隆盛の人格を創り上げたもの」
         

     
     星亮一(作家)


      ※『致知』2014年1月号
        特集「君子、時中す」より


└─────────────────────┘


西郷隆盛は、文政10(1828)年、
薩摩藩の下級武士の子として生まれました。


西郷は幼い頃から、
藩独自の郷中教育によって
勉学や武術を学び、
武士としての生き様を
徹底して仕込まれていきました。


西郷が海外に関心を抱いたのは
開明派大名として知られた
藩主・島津斉彬の影響でした。


安政元(1854)年、
西郷は庭方役として直接、
斉彬に相まみえるようになり、
その縁で水戸学の藤田東湖などの
薫陶を受けるようになるのです。


西郷にとって斉彬のような名君に仕えたことは、
時流を読む眼を養うとともに、
大きな誇りにもなっていたようです。


命を受けた西郷は、
一橋慶喜擁立による幕府の体制づくりと
開国、富国強兵という
斉彬の計画のために奔走するのです。


ところが、斉彬が急死した後、事態は一変。
西郷は「安政の大獄」の煽りを受けて
奄美大島に流され、
帰国後は藩主の島津久光の逆鱗に触れて
沖永良部島への流罪を言い渡されます。


特に沖永良部島での獄中生活は
過酷を極めました。


戸も壁もない吹きさらしの牢に繋がれ、
幾度も生死の境を彷徨いますが、
西郷はそういう環境にありながら、
3つの行李いっぱいに詰め込んだ
古典などの書物を精読していたといいますから、
何事にも屈しないその胆力は
計り知れないものがあります。


西郷が後に大西郷と呼ばれるのは、
この2度の島流しによって自らを鍛え、
より人間的な幅を増したことによるものだと思います。


遠島が死刑に次ぐ大罪でありながら、
家老の小松帯刀や大久保利通の尽力で
復帰を果たしたのは、
何よりも西郷の人望の厚さを
物語っていると思います。


  * * *


勝海舟と西郷隆盛。
江戸城無血開城の立役者である2人は
どのように自らを練り上げ、
世界に類を見ない偉業を成し遂げていったのか。

続きはぜひ『致知』1月号P30をご一読ください。

木曜日, 11月 28, 2013

 「稲盛和夫氏に学ぶ活路を見出す要諦」


  「稲盛和夫氏に学ぶ活路を見出す要諦」
         


     ※『致知』2013年12月号
       特集「活路を見出す」編集長コラムより


└────────────────────────┘


『致知』創刊35周年記念大会は9月14日、
全国から1400人の参加者を得て盛況裡に終了した。


参加者の発する熱は30周年を上回る高まりを見せた。
「すごい会だった」「素晴らしかった」の言葉を残され、
興奮冷めやらぬ面持ちでお客様は会場を後にされた。


「こんな固い雑誌は誰も読まない」と
創刊時から言われてきた身には、
感無量の思いがする。


(中略)


基調講演は京セラ名誉会長・稲盛和夫氏による
「運命的な出会いが人生をつくる」。


氏は27歳で京セラを、
52歳で第二電電(現・KDDI)を創業された。


両社は現在、それぞれ売上高1・3兆円、
3・6兆円の巨大企業となった。
加えて、破綻に陥った日本航空の再建を依頼され、
就任1年で1000億円を超す黒字を計上、
2年8か月で再上場を果たした。
実績は讃えて余りある。


その稲盛氏が1時間15分、
淡々とした口調で一貫して説かれたのは、
自分の今日あるは人生のいろいろな局面で出会った多くの人たちのおかげ、
ということだった。


家庭の事情で進学は諦めていたのに、
担任の先生がご両親を説得してくれたこと。
京セラ創業時には家を担保にして
協力してくれた人があったこと。


そういう「運命的な出会い」のおかげで自分の人生はある、
決して自分一人の力で今日があるのではない――。


人生に活路を見出していくには何が大事か。
稲盛氏のお話はその要諦を端的に示している。


氏が「謙虚にして驕らず、さらに努力を」
「自分の才能を私物化してはならない」を信条としてきたのも、
数多のおかげの思いがあるからである。


大事業を成し遂げたいまもなお、
その原点を忘れない氏の姿に、
私たちが汲み取るべきものは多い。


  * * *

続きはぜひ『致知』12月号P9をご一読ください。

日曜日, 11月 03, 2013

【人間姿勢は一つでいい~佐藤忠良先生から学んだこと】

>
>       「人間の姿勢は一つでいい
>        ~佐藤忠良先生から学んだこと~」
>
>
>
>          笹戸千津子(彫刻家)
>
>
>               『致知』2013年9月号
>                    「致知随想」より
>
>
> └─────────────────────────────────┘
>
>
> 「人間はある年齢になると下降線を辿る。
>  だけど僕は、地面スレスレでもいいから、
>  ずっと水平飛行しながら一生を終えたい」
>
>
> 世界的な彫刻家・佐藤忠良先生はこの言葉どおり、
> 二年前に九十八歳で亡くなるまで
> 創作活動に情熱を燃やし続けました。
>
> 私が佐藤先生とご縁をいただいたのは昭和四十一年、
> 新設された東京造形大学の一期生として入学した時でした。
>
> 母と乗った入学式に向かうバスで、
> たまたま隣にハンチング帽をかぶり、
> 大きな鞄を抱えた、俳優の宇野重吉さんに似た男性が
> 座っていました。
>
> その人が佐藤先生だったのです。
>
> 先生は山口の田舎から一緒に上京してきた母に
> 親切に話しかけてくださり、
> 細やかな心遣いを示してくださった一方、
> その直後に行われた入学式では実に斬新なスピーチをされました。
>
> 日本の美術大学の歴史が始まって以来、
> これほど程度の低い学生が集まったことはないだろう。
>
> けれども私は、本人も世の人も天才だと思っているだろう
> 私の母校・東京藝術大学の学生と競争させてみるつもりだ。
>
> 素直に一所懸命に勉強すれば、
> 卒業時には一番成績の悪い学生でも
> 藝大の学生の下から三番目以上の力をつけさせる」
>
> 父母もいる前でこんな話をする先生のことを、
> 最初は随分変わった人だと思いましたが、
> 授業を通じてそのお人柄と芸術に対する深い洞察に触れ、
> 私はたちまち深い感化を受けました。
>
>
> 「大学の門を一歩くぐったら、
>   僕は教える人、君たちは習う人、
>   この区別をハッキリさせよう。
>
>   でも大学の門を一歩出たら、
>   お互いに芸術で悩む人間同士として付き合おう」
>
>
> そんな佐藤先生から、四年の履修期間が終わり、
> 研究室に三年間残った後、
>
>
> 「僕のモデルを務めてほしい。
>   その代わり僕のアトリエで自由に仕事をしていいから」
>
>
> と誘われ、私は迷わず承りました。
>
> おかげさまで私は先生のそばで創作活動を続けながら、
> 「帽子・夏」をはじめとする「帽子シリーズ」など、
> 七〇年代以降の先生の九割方の作品で
> モデルを務める僥倖に恵まれました。
>
> そのうち秘書のお仕事も担うようになり、
> お亡くなりになるまで
> 四十年以上も身近にお仕えしたのでした。
>
> 私が彫刻の道を志した当初、
> まだ女性で彫刻をやる人は稀でした。
>
> けれども父は、
> これからは女性も手に職を持たなければならない、
> と理解を示してくれ、
>
>
> 「おまえは特別才能があるわけではないから、
>   人より少しでも抜きん出たかったら人の三倍やりなさい」
>
>
> と励ましてくれました。
>
> 私自身も、せっかく生まれてきたからには
> 自分をとことん試してみたいと思い、
> 自ら土日もなく佐藤先生のアトリエに通い詰め、
> 作品審査では必ず他の方より多く出品し続けました。
>
> 先生も私の意気込みに応えてますます創作に熱中され、
> 二人で競うように作品に取り組み続けたものです。
>
>
> アトリエでは先生の粘土練りや心棒づくりをお手伝いしながら、
> 概ね午前中に自分の作品制作を行い、
> 午後は先生のモデルを務めました。
>
> モデルを務めている時間は当然自分の作業はできませんが、
> 先生が制作に呻吟される姿を直に拝見するのが、
> 何物にも代えがたい勉強でした。
>
> 作品に向かう先生の姿勢は大変厳しく、
> 道具や粘土を粗末に扱うと厳しく叱責されました。
>
> また、彫刻に男も女もない。
> 男に手伝ってもらおうと思った瞬間から負けが始まる、
> と女性にも一切甘えは許されませんでした。
>
> 若い頃は
>
>
> 「こんなみっともない作品を
>   僕のアトリエに置いてもらったら困る」
>
>
> と完成間近の作品を壊すよう命じられ、
> 涙に暮れた体験は数え切れません。
>
> けれども先生は、一度制作の場を離れると
> 実に温かい思いやりを示してくださいました。
>
>
> 「世の中には低姿勢とか高姿勢って言葉があるけれども、
>   人間の姿勢は一つでいいんだよ」
>
>
> と、どんな偉い方にもへつらわず、
> また職人さんやお手伝いさんにも細やかな心遣いを示されるので、
> 面会した人は誰もが感激し、先生の虜になりました。
>
> こうした先生の姿勢は、幼くして
> 父親を亡くし他家へ書生に入り、また先の大戦で応召し、
> 三年間もシベリアで抑留生活を送られた
> ご体験とも無関係ではないでしょう。
>
> イギリスに彫刻家のヘンリー・ムーアを訪ねた時、
> 既に晩年で病床にあったムーアが、
> きちんとネクタイを締めて応対してくれた姿勢に感銘を受け、
>
>
> 「隣人へのいたわりや優しさのない人間が創る芸術は、
>   すべて嘘と言ってもいい」
>
>
> と繰り返されていました。
>
> 学生時代に師事した朝倉文夫先生から
>
>
> 「一日土をいじらざれば一日の退歩」
>
>
> と教えられた佐藤先生は、講演会などで若い学生から、
>
>
> 「佐藤先生のような素晴らしい作品を
>   創作するにはどうしたらいいですか?」
>
> と質問されると決まって、
>
>
> 「コツはただ、コツコツコツコツやることだよ」
>
>
> とユーモラスに答えていらっしゃいました。
>
>
> 生涯水平飛行を願った先生ですが、
> それは極めて辛いことだともおっしゃっていました。
>
> それでも先生は毎朝八時過ぎには必ずアトリエに入り、
> 生涯休むことなく活動を続けられました。
>
> 私もこの偉大な師の志を継ぎ、
> 命の炎が尽きるまで
> 創作活動に打ち込んでゆきたいと願っています。

【芸能生活で支えにしてきた言葉  黒柳徹子】

 「芸能生活で支えにしてきた言葉」


         黒柳徹子(女優・ユニセフ親善大使)
 
               
              『致知』2013年10月号
               特集「一言よく人を生かす」より

└─────────────────────────────────┘


私にはあんまり、こうしたい、ああしたいと
いう野望はないんです。

いまここにあるものを、
どうすれば切りひらいていけるかという
考えで生きてきたので。


ただ、努力はしますよ。

俳優の渥美清さんは私の芝居を
よく見に来てくださったのですが、感想は


「お嬢さん、元気ですね。元気が一番」


といつもそうでした。

また長年指導していただいた
劇作家の飯沢匡(ただす)先生も、
台本をどう演じればよいかを伺うと


「元気におやりなさい。元気に」


とおっしゃった。


その頃は元気だけでいいのかなと思ったんですが、
いまとなれば、どんなに才能があっても、
結局、元気でなきゃダメなんだということが分かるんです。

「元気が一番」という渥美さんの言葉も
随分私の力になっていますが、
もう一つ仕事をしていく上で大事にしているのが、
マリア・カラスの言葉です。

二十世紀最高のオペラ歌手と謳われた彼女が


「オペラ歌手にとって一番必要なものはなんですか」


と聞かれた時に、こう答えたというんです。


「修練と勇気、あとはゴミ」と。



彼女は生前、四十ものオペラに出たんですが、
楽譜を見ると分かるように、
それぞれに物凄く細かい音がある。

しかし彼女はその全部に対して
「絶対にこれでなければダメだという音を、私は出してきた」
と言い切っている。要はそれくらいの修練をし、
身につけてきたということでしょう。

私は毎年一回、舞台をやるんですが、
その時にはやはりね、
「修練と勇気、あとはゴミ」と思いますよ。

そのためには一か月半の稽古をし、
二千行におよぶセリフを覚えなければならない。

だから皆と飲みに行くことも、
ご飯を食べに行くこともなく、
稽古場から家に帰って、
あとはずっとセリフを覚えたり勉強をしたりで、
全神経をそこに集中させていく。


もう一つ、これはイギリス人の方が教えてくれたのですが、


「ある人が飛躍して才能を発揮する時には、
 皆が寝ている時にその人は寝ていなかった」


という言葉があるんです。
つまり努力をしたということでしょう。
でも並の努力ではそこまでいきません。


…………………………………………………………
黒柳徹子さんと、
全盲ろうの東大教授・福島智氏による対談
「人生をひらく言葉の力」は、現在発行中の
『致知』10月号にてお読みいただけます。

【 二宮金次郎に学ぶ生き方 】


      面白くて一気に読める二宮金次郎一代記


       「二宮金次郎に学ぶ生き方」


          中桐万里子(著) 1,575 円(税込)

   http://online.chichi.co.jp/products/detail.php?product_id=1458



└────────────────────────────────┘

「二宮金次郎」と聞いて、皆さんがまず頭に浮かべるのは、
薪を背負って本を読んでいる、お馴染みの銅像だと思います。

しかし金次郎の七代目子孫にあたる中桐万里子さんは、
お祖母さんから、こんなことを聞かされてきたといいます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  幼い頃より祖母に金次郎のあの像について
  言われていることがありました。


  「あの銅像の姿は貧しくても忙しくても、
   勉強が大事だ。本を読め!
   ということだと、どこかで教えられるかもしれないけれど、
   それは違うのよ。

   あの姿で一番大切なのは、
   背負っている薪と、
   一歩を踏み出している足なの。

   だからあの像はね、本を読むことも、
   理想を追求することも大事だけど、
   でも、どんなときも行動することを忘れてはいけない。
 
   どんな状況でも一歩を踏む出すことを
   忘れてはいけないというメッセージなのよ」


と。つまり、


「口だけ頭だけの人間には絶対になるな。
 実践することをなによりも大切にしなさい」


と言われてきたのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今年5月、初の著書となる『二宮金次郎の幸福論』を
刊行された二宮金次郎七代目子孫の中桐万里子さん。

幼い頃よりお祖母さんから聞かされてきた話をもとに、
これまでにない斬新な切り口から二宮金次郎像を語り、
いま全国で講演活動を行っておられます。

講演を聴かれた皆さまからも
書籍化を望む声が多かった中桐さんのお話が、
このたび、ついに単行本になりました。



タイトルは……



『二宮金次郎に学ぶ生き方』。
http://online.chichi.co.jp/products/detail.php?product_id=1458




あの江戸幕末の動乱期に、
一発の銃弾も撃たず、一滴の血も流さず、
六百以上もの村々を蘇らせるという離れ業を成し遂げた
金次郎ですが、再建に当たった始めの七年間は
ほとんど成果をあげられず、
ついには失踪騒ぎまで起こしてしまいます。

飢饉や天災という困難に加え、
非協力的で、反対者も多かったという村人たちと
金次郎はどのように心を通わせ、
この偉業を成し遂げていったのでしょうか?

金次郎もぶつかった人間関係の大きな壁を
職場での人間関係や、上司・部下との接し方に
悩みを抱えるビジネスマンにとっても
大きなヒントになるはずです。

本書では、以下のような興味深いエピソードも
綴られています。


・松下幸之助と二宮金次郎の意外な共通点

・成果をあげる「金次郎流メモの取り方」とは?

・「ただ見る」と「よく見る」の違い

・「よく見る」ことで生まれる「ありがとう」

・「なんで?」と「なんで!」の大きな違い


七代目子孫が語った、面白くて一気に読める
二宮金次郎一代記。ぜひご一読をおすすめします。


<目次>

第一章 多くの人に愛され、育てられた金次郎
第二章 すべてはまず「知る」ことからはじまる
第三章 金次郎がぶつかった人間関係という壁
第四章 すべてのものにはプロセス=徳がある
第五章 報徳とはtake and give
第六章 「報徳」こそ目の前の現実を豊かにするための秘訣
第七章 どんなときも一歩を踏み出すことを忘れなかった金次郎



<心に残る言葉>

●もしどうしていいかわからないなら、
 立ち止まってしまいそうなら、
 それは「無力」なのではなくて、「無知」なのだ。


●金次郎はあらゆるものに徳がある、と言いました。
 金次郎は「徳」を「プロセス」や「ドラマ」と捉えます。
 そのドラマを知れば、すべてが愛おしくなり、
 また問題解決のヒントもそこに隠されているのです。


●「見渡せば 敵も味方も なかりけり
  おのれおのれが ここころにぞある」
  
(※金次郎の道歌もたくさん紹介されています)


…………………………………………………………………………………………


      面白くて一気に読める二宮金次郎一代記

       「二宮金次郎に学ぶ生き方」


          中桐万里子(著) 1,575 円(税込)