木曜日, 11月 28, 2013

 「稲盛和夫氏に学ぶ活路を見出す要諦」


  「稲盛和夫氏に学ぶ活路を見出す要諦」
         


     ※『致知』2013年12月号
       特集「活路を見出す」編集長コラムより


└────────────────────────┘


『致知』創刊35周年記念大会は9月14日、
全国から1400人の参加者を得て盛況裡に終了した。


参加者の発する熱は30周年を上回る高まりを見せた。
「すごい会だった」「素晴らしかった」の言葉を残され、
興奮冷めやらぬ面持ちでお客様は会場を後にされた。


「こんな固い雑誌は誰も読まない」と
創刊時から言われてきた身には、
感無量の思いがする。


(中略)


基調講演は京セラ名誉会長・稲盛和夫氏による
「運命的な出会いが人生をつくる」。


氏は27歳で京セラを、
52歳で第二電電(現・KDDI)を創業された。


両社は現在、それぞれ売上高1・3兆円、
3・6兆円の巨大企業となった。
加えて、破綻に陥った日本航空の再建を依頼され、
就任1年で1000億円を超す黒字を計上、
2年8か月で再上場を果たした。
実績は讃えて余りある。


その稲盛氏が1時間15分、
淡々とした口調で一貫して説かれたのは、
自分の今日あるは人生のいろいろな局面で出会った多くの人たちのおかげ、
ということだった。


家庭の事情で進学は諦めていたのに、
担任の先生がご両親を説得してくれたこと。
京セラ創業時には家を担保にして
協力してくれた人があったこと。


そういう「運命的な出会い」のおかげで自分の人生はある、
決して自分一人の力で今日があるのではない――。


人生に活路を見出していくには何が大事か。
稲盛氏のお話はその要諦を端的に示している。


氏が「謙虚にして驕らず、さらに努力を」
「自分の才能を私物化してはならない」を信条としてきたのも、
数多のおかげの思いがあるからである。


大事業を成し遂げたいまもなお、
その原点を忘れない氏の姿に、
私たちが汲み取るべきものは多い。


  * * *

続きはぜひ『致知』12月号P9をご一読ください。

日曜日, 11月 03, 2013

【人間姿勢は一つでいい~佐藤忠良先生から学んだこと】

>
>       「人間の姿勢は一つでいい
>        ~佐藤忠良先生から学んだこと~」
>
>
>
>          笹戸千津子(彫刻家)
>
>
>               『致知』2013年9月号
>                    「致知随想」より
>
>
> └─────────────────────────────────┘
>
>
> 「人間はある年齢になると下降線を辿る。
>  だけど僕は、地面スレスレでもいいから、
>  ずっと水平飛行しながら一生を終えたい」
>
>
> 世界的な彫刻家・佐藤忠良先生はこの言葉どおり、
> 二年前に九十八歳で亡くなるまで
> 創作活動に情熱を燃やし続けました。
>
> 私が佐藤先生とご縁をいただいたのは昭和四十一年、
> 新設された東京造形大学の一期生として入学した時でした。
>
> 母と乗った入学式に向かうバスで、
> たまたま隣にハンチング帽をかぶり、
> 大きな鞄を抱えた、俳優の宇野重吉さんに似た男性が
> 座っていました。
>
> その人が佐藤先生だったのです。
>
> 先生は山口の田舎から一緒に上京してきた母に
> 親切に話しかけてくださり、
> 細やかな心遣いを示してくださった一方、
> その直後に行われた入学式では実に斬新なスピーチをされました。
>
> 日本の美術大学の歴史が始まって以来、
> これほど程度の低い学生が集まったことはないだろう。
>
> けれども私は、本人も世の人も天才だと思っているだろう
> 私の母校・東京藝術大学の学生と競争させてみるつもりだ。
>
> 素直に一所懸命に勉強すれば、
> 卒業時には一番成績の悪い学生でも
> 藝大の学生の下から三番目以上の力をつけさせる」
>
> 父母もいる前でこんな話をする先生のことを、
> 最初は随分変わった人だと思いましたが、
> 授業を通じてそのお人柄と芸術に対する深い洞察に触れ、
> 私はたちまち深い感化を受けました。
>
>
> 「大学の門を一歩くぐったら、
>   僕は教える人、君たちは習う人、
>   この区別をハッキリさせよう。
>
>   でも大学の門を一歩出たら、
>   お互いに芸術で悩む人間同士として付き合おう」
>
>
> そんな佐藤先生から、四年の履修期間が終わり、
> 研究室に三年間残った後、
>
>
> 「僕のモデルを務めてほしい。
>   その代わり僕のアトリエで自由に仕事をしていいから」
>
>
> と誘われ、私は迷わず承りました。
>
> おかげさまで私は先生のそばで創作活動を続けながら、
> 「帽子・夏」をはじめとする「帽子シリーズ」など、
> 七〇年代以降の先生の九割方の作品で
> モデルを務める僥倖に恵まれました。
>
> そのうち秘書のお仕事も担うようになり、
> お亡くなりになるまで
> 四十年以上も身近にお仕えしたのでした。
>
> 私が彫刻の道を志した当初、
> まだ女性で彫刻をやる人は稀でした。
>
> けれども父は、
> これからは女性も手に職を持たなければならない、
> と理解を示してくれ、
>
>
> 「おまえは特別才能があるわけではないから、
>   人より少しでも抜きん出たかったら人の三倍やりなさい」
>
>
> と励ましてくれました。
>
> 私自身も、せっかく生まれてきたからには
> 自分をとことん試してみたいと思い、
> 自ら土日もなく佐藤先生のアトリエに通い詰め、
> 作品審査では必ず他の方より多く出品し続けました。
>
> 先生も私の意気込みに応えてますます創作に熱中され、
> 二人で競うように作品に取り組み続けたものです。
>
>
> アトリエでは先生の粘土練りや心棒づくりをお手伝いしながら、
> 概ね午前中に自分の作品制作を行い、
> 午後は先生のモデルを務めました。
>
> モデルを務めている時間は当然自分の作業はできませんが、
> 先生が制作に呻吟される姿を直に拝見するのが、
> 何物にも代えがたい勉強でした。
>
> 作品に向かう先生の姿勢は大変厳しく、
> 道具や粘土を粗末に扱うと厳しく叱責されました。
>
> また、彫刻に男も女もない。
> 男に手伝ってもらおうと思った瞬間から負けが始まる、
> と女性にも一切甘えは許されませんでした。
>
> 若い頃は
>
>
> 「こんなみっともない作品を
>   僕のアトリエに置いてもらったら困る」
>
>
> と完成間近の作品を壊すよう命じられ、
> 涙に暮れた体験は数え切れません。
>
> けれども先生は、一度制作の場を離れると
> 実に温かい思いやりを示してくださいました。
>
>
> 「世の中には低姿勢とか高姿勢って言葉があるけれども、
>   人間の姿勢は一つでいいんだよ」
>
>
> と、どんな偉い方にもへつらわず、
> また職人さんやお手伝いさんにも細やかな心遣いを示されるので、
> 面会した人は誰もが感激し、先生の虜になりました。
>
> こうした先生の姿勢は、幼くして
> 父親を亡くし他家へ書生に入り、また先の大戦で応召し、
> 三年間もシベリアで抑留生活を送られた
> ご体験とも無関係ではないでしょう。
>
> イギリスに彫刻家のヘンリー・ムーアを訪ねた時、
> 既に晩年で病床にあったムーアが、
> きちんとネクタイを締めて応対してくれた姿勢に感銘を受け、
>
>
> 「隣人へのいたわりや優しさのない人間が創る芸術は、
>   すべて嘘と言ってもいい」
>
>
> と繰り返されていました。
>
> 学生時代に師事した朝倉文夫先生から
>
>
> 「一日土をいじらざれば一日の退歩」
>
>
> と教えられた佐藤先生は、講演会などで若い学生から、
>
>
> 「佐藤先生のような素晴らしい作品を
>   創作するにはどうしたらいいですか?」
>
> と質問されると決まって、
>
>
> 「コツはただ、コツコツコツコツやることだよ」
>
>
> とユーモラスに答えていらっしゃいました。
>
>
> 生涯水平飛行を願った先生ですが、
> それは極めて辛いことだともおっしゃっていました。
>
> それでも先生は毎朝八時過ぎには必ずアトリエに入り、
> 生涯休むことなく活動を続けられました。
>
> 私もこの偉大な師の志を継ぎ、
> 命の炎が尽きるまで
> 創作活動に打ち込んでゆきたいと願っています。

【芸能生活で支えにしてきた言葉  黒柳徹子】

 「芸能生活で支えにしてきた言葉」


         黒柳徹子(女優・ユニセフ親善大使)
 
               
              『致知』2013年10月号
               特集「一言よく人を生かす」より

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私にはあんまり、こうしたい、ああしたいと
いう野望はないんです。

いまここにあるものを、
どうすれば切りひらいていけるかという
考えで生きてきたので。


ただ、努力はしますよ。

俳優の渥美清さんは私の芝居を
よく見に来てくださったのですが、感想は


「お嬢さん、元気ですね。元気が一番」


といつもそうでした。

また長年指導していただいた
劇作家の飯沢匡(ただす)先生も、
台本をどう演じればよいかを伺うと


「元気におやりなさい。元気に」


とおっしゃった。


その頃は元気だけでいいのかなと思ったんですが、
いまとなれば、どんなに才能があっても、
結局、元気でなきゃダメなんだということが分かるんです。

「元気が一番」という渥美さんの言葉も
随分私の力になっていますが、
もう一つ仕事をしていく上で大事にしているのが、
マリア・カラスの言葉です。

二十世紀最高のオペラ歌手と謳われた彼女が


「オペラ歌手にとって一番必要なものはなんですか」


と聞かれた時に、こう答えたというんです。


「修練と勇気、あとはゴミ」と。



彼女は生前、四十ものオペラに出たんですが、
楽譜を見ると分かるように、
それぞれに物凄く細かい音がある。

しかし彼女はその全部に対して
「絶対にこれでなければダメだという音を、私は出してきた」
と言い切っている。要はそれくらいの修練をし、
身につけてきたということでしょう。

私は毎年一回、舞台をやるんですが、
その時にはやはりね、
「修練と勇気、あとはゴミ」と思いますよ。

そのためには一か月半の稽古をし、
二千行におよぶセリフを覚えなければならない。

だから皆と飲みに行くことも、
ご飯を食べに行くこともなく、
稽古場から家に帰って、
あとはずっとセリフを覚えたり勉強をしたりで、
全神経をそこに集中させていく。


もう一つ、これはイギリス人の方が教えてくれたのですが、


「ある人が飛躍して才能を発揮する時には、
 皆が寝ている時にその人は寝ていなかった」


という言葉があるんです。
つまり努力をしたということでしょう。
でも並の努力ではそこまでいきません。


…………………………………………………………
黒柳徹子さんと、
全盲ろうの東大教授・福島智氏による対談
「人生をひらく言葉の力」は、現在発行中の
『致知』10月号にてお読みいただけます。

【 二宮金次郎に学ぶ生き方 】


      面白くて一気に読める二宮金次郎一代記


       「二宮金次郎に学ぶ生き方」


          中桐万里子(著) 1,575 円(税込)

   http://online.chichi.co.jp/products/detail.php?product_id=1458



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「二宮金次郎」と聞いて、皆さんがまず頭に浮かべるのは、
薪を背負って本を読んでいる、お馴染みの銅像だと思います。

しかし金次郎の七代目子孫にあたる中桐万里子さんは、
お祖母さんから、こんなことを聞かされてきたといいます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  幼い頃より祖母に金次郎のあの像について
  言われていることがありました。


  「あの銅像の姿は貧しくても忙しくても、
   勉強が大事だ。本を読め!
   ということだと、どこかで教えられるかもしれないけれど、
   それは違うのよ。

   あの姿で一番大切なのは、
   背負っている薪と、
   一歩を踏み出している足なの。

   だからあの像はね、本を読むことも、
   理想を追求することも大事だけど、
   でも、どんなときも行動することを忘れてはいけない。
 
   どんな状況でも一歩を踏む出すことを
   忘れてはいけないというメッセージなのよ」


と。つまり、


「口だけ頭だけの人間には絶対になるな。
 実践することをなによりも大切にしなさい」


と言われてきたのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今年5月、初の著書となる『二宮金次郎の幸福論』を
刊行された二宮金次郎七代目子孫の中桐万里子さん。

幼い頃よりお祖母さんから聞かされてきた話をもとに、
これまでにない斬新な切り口から二宮金次郎像を語り、
いま全国で講演活動を行っておられます。

講演を聴かれた皆さまからも
書籍化を望む声が多かった中桐さんのお話が、
このたび、ついに単行本になりました。



タイトルは……



『二宮金次郎に学ぶ生き方』。
http://online.chichi.co.jp/products/detail.php?product_id=1458




あの江戸幕末の動乱期に、
一発の銃弾も撃たず、一滴の血も流さず、
六百以上もの村々を蘇らせるという離れ業を成し遂げた
金次郎ですが、再建に当たった始めの七年間は
ほとんど成果をあげられず、
ついには失踪騒ぎまで起こしてしまいます。

飢饉や天災という困難に加え、
非協力的で、反対者も多かったという村人たちと
金次郎はどのように心を通わせ、
この偉業を成し遂げていったのでしょうか?

金次郎もぶつかった人間関係の大きな壁を
職場での人間関係や、上司・部下との接し方に
悩みを抱えるビジネスマンにとっても
大きなヒントになるはずです。

本書では、以下のような興味深いエピソードも
綴られています。


・松下幸之助と二宮金次郎の意外な共通点

・成果をあげる「金次郎流メモの取り方」とは?

・「ただ見る」と「よく見る」の違い

・「よく見る」ことで生まれる「ありがとう」

・「なんで?」と「なんで!」の大きな違い


七代目子孫が語った、面白くて一気に読める
二宮金次郎一代記。ぜひご一読をおすすめします。


<目次>

第一章 多くの人に愛され、育てられた金次郎
第二章 すべてはまず「知る」ことからはじまる
第三章 金次郎がぶつかった人間関係という壁
第四章 すべてのものにはプロセス=徳がある
第五章 報徳とはtake and give
第六章 「報徳」こそ目の前の現実を豊かにするための秘訣
第七章 どんなときも一歩を踏み出すことを忘れなかった金次郎



<心に残る言葉>

●もしどうしていいかわからないなら、
 立ち止まってしまいそうなら、
 それは「無力」なのではなくて、「無知」なのだ。


●金次郎はあらゆるものに徳がある、と言いました。
 金次郎は「徳」を「プロセス」や「ドラマ」と捉えます。
 そのドラマを知れば、すべてが愛おしくなり、
 また問題解決のヒントもそこに隠されているのです。


●「見渡せば 敵も味方も なかりけり
  おのれおのれが ここころにぞある」
  
(※金次郎の道歌もたくさん紹介されています)


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      面白くて一気に読める二宮金次郎一代記

       「二宮金次郎に学ぶ生き方」


          中桐万里子(著) 1,575 円(税込)