金曜日, 12月 01, 2006

久々の香港・・・変わりました!


ちょうど 10月の中旬に仕事で香港に出張がありました。 香港はだいぶ以前にやはり、仕事で行ったきりで久々でしたが、 その間に1997年7月に中国に返還され香港特別行政区となり、又 この翌年にはランタオ島のチェクラップコックに香港国際空港が開港したりと 私が知っていた香港とは随分と変化がありました。  一番、街を歩いて感じたのは、日本人観光客がとても少なくなった事とその代わりに中国本土からの観光客が多いことです。 日本人は韓流ブームで韓国に夢中なのでしょうか! 確かにソウルは日本人で溢れていますね。  先に仕事を済ませることにし、後半は九龍に住んでいる友人と久ぶりの再会です。   Mrs.リノに会い、彼女の案内で香港ウオッチングを楽しむ事にしました。  最初の二日間は仕事で香港島のセントラルに来ています。  ここは香港を代表するビジネス街ですが、 ずいぶんと高層ビルが林立し 超モダン高層ビルの中には日本の「熊谷組」が建設したビルもあります。   ほとんど地下鉄か車で動いていましたのでビクトリア・ハーバーの海底を地下鉄で素通りしているのです。   ではでは、翌日、彼女の案内で香港ウオッチングしてみました。 香港島に行き まずは、ビクトリア・ピークへここも見慣れないタワーができていますね、ビクトリア・ピークのトラム終点駅脇にある、昔ながらの中国風の展望台は現在封鎖されていました。  何だか「浦島太郎状態です・・・?!?」 その後レバルス・ベイ へ映画「慕情」の舞台となったロケ地ですが、残念ながらこの映画観たことありません! 私って若い・・・!?  ビーチにある漁師の守り神を祀った寺院を参拝する。  中国らしい派手やかな雰囲気です。
同じ仏教でも日本と中国表現の違い感じますね。
この時期は25・6度かなり 蒸し暑く雨はあまり降りません。  97年の返還後軍関係や政府関連のイギリス人達はだいぶ本国に引き上げたようでしたが、またここ数年の間に香港に戻って来ているようで、香港島でもイギリス人をかなり見かけることが多いです。 一番多いのが、インド人だそうです。 がどちらも(中国・インド人)総人口から云うば世界の1・2位を占めるのですから世界中至るところにいる訳ですよね。  そしてMrs.リノお薦め、マンダリンホテルでゆっくりとお茶の時間を楽しみました。   とても美味しいお菓子をいただいて・・・大満足!

帰りは、市民の足である、香港島と九龍を結ぶスターフェリーで夕暮れのショート・クルージング,8分程でチムサアチョイに着きました。 このフェリーの辺りは、懐かしさを感じます。   香港は海と山が迫っている本当に狭い土地です、伸びることができるのは、上だけ香港島のビル群が林立している。
★地下鉄の地下道には情緒ある 胡弓を奏でる人が。カメラを向けたらポーズをとって微笑んでくれました。  壁には、ニコラス・ゲイジ主演の2006「ワールド・トレードセンター」のポスターが中国語のタイトルは「世貿中心」なんですね。余談ですがニコラス・ケイジはフランシス・コッポラの甥なんですね。 知ってましたかー?。    翌日はイースト・チムサアチョイの新名所アベニュー・オブ・スターズで映画好きには面白いスターの手形やブルースリーの像があるベーエリアです。 ジャキーチェーンの手形です。 ジェット・リーもある、まったくの新しい 観光スポットをつくったんですね

香港で必ずしてこようと計画していたのが、マッサージ・エステ。実はかなりの肩こり!
疲れた全身をゆっくりと揉み解してもらいました・・・きっとやりごたいあったと思います。 かなり足も体もリラックスでき、まるで生き返ったようです。 しかもとても丁寧でお安いので これはお薦めです!彼女も満足そうです。 外にでたら大分暗く成っていました。
夜の散策をしてみることに。

九龍の一番の繁華街ネーザンロードをモンコクへ女人街を歩いてみました。 そこには香港人の活気溢れる庶民の姿があります。夜になると美味しそうな出店が沢山出て。 買い物も駆け引きで値段交渉です。いい買い物ができたでしょうか・・・? 何となく怪しげな感じの一角もあります。 たくさんの食材が並ぶ屋台の出店。 メニューを見て、想像通りのものがさて、出てくるでしょうか?! 早速トラーイ・・! 「五宝品麺」・・・五種類の具がダイナミックに入っている麺でした。 「紅腸香麺」・・・赤く色付けされた腸がカレー味のあっさりスープの麺で作られています。お味はまずまず・・・*#* 沢山の人達が群れているお店がありますね・・・何でしょうか?!  どうやら、スイーツのテイクアウトのようです。 ビニール袋に沢山の種類のスイートの中から好きなものをチョイスして、ストローやスプーンで食べるスタイル。 若いカップルが食べながら歩く・・・日本でも流行りそう・・!?*  香港の夜は更けていくことをまるで知らないかの様に人々が増えていきます。庶民の活気溢れる源がきっとこの街にはあるのでしょう気忙しく、実にエネルギッシュ!中国人の底力を感じました。  明朝は日本に帰国です。短い間でしたが新しい時代を進化していく香港のバイタリテーある顔をみたような気がしました。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

水曜日, 11月 01, 2006

福島新蕎麦三昧の旅

10月末を利用して、そろそろ新蕎麦と紅葉が綺麗な福島の旅を蕎麦好きな6人のお仲間と企画をたてました。
東京を朝8時に出発、一路東北路から喜多方へ。 と言うのも9月末に東京のNPOが主催した、喜多方の酒造「大和川」の利き酒会に出席したこの6人、新蕎麦の旅に大和川酒造をお訪ねすることを次期社長の若旦那に約束したのでした。
「酒蔵には手打ち蕎麦屋もありますので、是非ご賞味くださいの言葉に釣られ、それも楽しみだ・・・ということに。」     1時過ぎ頃に到着です。 大和川酒造は創業が寛政2年、既に200年以上の古い歴史のある酒蔵です。 1990年に酒造蔵「飯豊蔵」が新設され現在はそちらで酒造を行っており、ここは北方風土館として、当時の酒造の有り方を見学できます。  金賞に輝く大吟醸「大和川」の試飲をさせて頂き、すきっ腹に効いた感じ。 何本か土産ように買い求め、お待ち兼ねの「蕎麦処良志久庵」でそば粉100%の打ちたてを頂きます。 そこに次期社長の若旦那がお土産にと2本ぶら下げて現れ、約一ヶ月ぶりのの再会です。 蕎麦は勿論ながら、ここの源泉豆腐をご賞味ください。  温泉水で作る、 まるで、チーズのように まろやかで今までに食したことが無い豆腐の美味しさでした。  ご主人の蕎麦家名人の話を聴いて、日本中の蕎麦を食べ歩き今にたどり着いたそうです。 蕎麦の実が熟したものを使用するとあって、実に風味が良く、塩で食べても美味しい蕎麦です、 ごちそうさまでした。  車に戻る途中、メンバーのひとりが、家族で庭の柿をもいでいる方たちに声を掛けて「喜多方の文字は当て字なんですか・・・?北方が本来なんですか・・・?」「そうですよー!」それがきっかけで会話が弾み柿と大きくうれてバックリと口を割った見事なざくろを頂いた。  本当に喜多方の皆様はひとがいい方ばかりでした。 有難うございました! お陰様で東京に帰ってから、ざくろ酒を造りました。  この日の宿は以前大玉村とNPOが体験ツアーを企画した時に訪れたことのある村営のアットホームです。  夜、村の助役さんが挨拶にきてくれました。 明朝は9時半から、 蕎麦打ち名人の組合長の鈴木宇一さんのご指導で、(3年半ぶりの再会です)再び蕎麦打ち体験をします。  これが何よりの楽しみのひとつでした!   さて100%そば粉を使用し、まずは 名人のご指導と腕裁きを見学です。  500gのそば粉に対して270ccの水を少しずつ入れ、パラパラに混ぜ込んでいきます。 次第に練りこんで丸い蕎麦玉になる。  ここまでが かなり難しい山場ですね。 私たち6人はあーでもない、こーでもないと楽しみながら 何とか最終場面 まで工程をふんでできあがりです。  ところでメンバーのひとりにかなり、蕎麦打ちを趣味にされている方がいます。やはり、彼は他の5人とはひと腕もふた腕ま違いました。    しかしながら、自分で打って、自分でそばを食べるなんて、最高です!  太さはまちまち色々有れどそれもまた愛嬌でしょうか、 実に美味しい蕎麦でした!! みんなの笑顔が満まんです。センター前の庭で清々しい空気の中わいわいいいながらの・・・・いい時間です。   大玉村の課長さんにも付き合っていただいて、有難うがざいました!  
土産に大玉村の特産の新米を頂きました。   この後「民話茶屋で民話の語りべ」を聴く予定ですたが、村の文化祭に出演されるとのこと、 今回は残念ながら見送ることにしました。



                                                   これから「花よりだんご」は終わり、次に紅葉を楽しむため裏磐梯の中津川渓谷方面を目指します。   裏磐梯レークラインを通り中津川渓谷を下に降りて、一休み。桧原湖から459でまた、喜多方へ。  日本の秋は素晴らしいです、絵に描いたような桧原湖と山々の錦絵、何回見ても、何回来てもその美しさは見たものを魅了させます!  来た甲斐があった・・・・とほっとするものがありました。  車は、喜多方の街へと、暫し蔵見学をすることに。立派な蔵が多いですねー。 日が暮れるのも早く5時頃には薄暗くなってきました。 先を急ぐのでこの辺で喜多方を後に、今日の宿である西会津へ急ぎます。   6時過ぎにどうにか到着です。温泉が自慢のこの宿、ここでも手打ちの美味しい蕎麦が出ました。 細打ちの喉越しのいい蕎麦です。 

福島はそば粉の栽培では日本有数です、昔からどこの家でも蕎麦を打つことは日常的にしていることのようです、私たち夫婦は毎年この新蕎麦の時期に福島の山都の山奥にある宮古に蕎麦を楽しみに伺っています。  そばや野菜を栽培している農家38軒程の集落ですがその半数が自宅の囲炉裏端・座敷・仏間を開放して手打ちの蕎麦処を営むのです。自家製の漬物・煮しめ・天ぷら・なますが有り蕎麦の食べ放題が売りものです。 各各家で味も出すものも違いますが、それも楽しみですよ。水蕎麦を初めて頂きました、勿論山の湧き水が美味しいからでしょう。 山を越えればそこは新潟になります。                      

翌朝は山々に掛かった雲海が美しくでていました。 会津坂下から柳津経由ここはとても好きなところです、しっとりとした温泉街・福満虚蔵尊の円蔵寺・斉藤版画美術館があります。  その後、地元の方に聞いた「ころり・・・参り」をすることに人生最後はころり・・・といきたいものです。 立木観音を訪れてみました。 会津若松で会津塗・野口英雄館・骨董品を見てから。   昔の宿場を保存した大内宿、大内宿のねぎを箸にしていただく蕎麦を目指して。  ところが大変な混みようでここは諦めました。   羽鳥湖から294で白河に出て、街はずれの畑の中にあるラーメンで有名な「とら食堂」でラーメンをいただくことに、白河ラーメンのルーツは、この男から始まった。  と言われた寅さんの味。  思いがけないコースですが、これもいいことでしょう。その後 一路東京へ帰路を急ぐことにしました。        旅はその土地土地で出会った人のふれ合いや人の温かさが何倍もの思い出をつくってくれるもの思いがけない出来事も味になります。 蕎麦も美味しかったけど、それ以上に福島の出会った方がたの温かさが何よりのご馳走でした。 ありがとう福島。 ありがとう皆さん・・・・。

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月曜日, 10月 09, 2006

♪シャンソンは人生そのもの♪







約1ヶ月前頃にご無沙汰していた、素敵なおば様から電話が入った。  「お元気 ・・・10月8日に シャンソンのコンサートをするつもりなの、宜しかったら聴きに来て・・・気楽な感じで楽しんで頂くようなものにするつもり・・・。」  「えぇ 勿論伺ますとても楽しみだわ・・・。」
それから10日程経って彼女が我家にご自分のコンサートのチケットをわざわざ届けに来てくださる事に。  わたしは友達を誘うつもりで、 既に2人の友人を彼女の訪問に合わせて招いていました。                   人生って、人の出会いって面白いもんです。
この日我が家のリビングでお茶を飲みながら顔を合わせた4人はおおいに笑い、3年半前に出会ったNPO主催の福島・大玉村体験バスツアーを振り返っていたのです。   この体験ツアーの参加者は50人。 私達3人はそれぞれ夫婦で参加、 この主人公である素敵なおば様はシングルでいらしゃいます、上品でなかなかの美人です。 昔は恋多き・・・?!きっともてたのでしょう!と想像させる程の魅力ある方です(失礼ながら)。  彼女の名は吉田さんです、 まじかに迫っている第1回目のご自分のシャンソンコンサートの練習の為に郊外で思いっきり大声を出したく参加。  この体験ツアーは大玉村を知ってもらおうと村とNPOが企画、 蕎麦打ち・陶芸・民話のかたりべを聴く・苗植え体験を目的としたもので、夜は村長を始め村人達の厚いもてなしと交流会が開催されました。 無論私達初めての参加だし、知っている方がいる訳ではありませんでしたがこの交流会は大いに盛り上がり、お互い知らない同士再び再会を約束することになったのです。   そして私は、まもなく開かれた吉田さんの初めてのコンサートを聴きにいったのでした。 あれから3年半、 当時も感じたのですが、こんなに素敵に歳を重ねて往くには・・・相当の努力も必要でしょうし好奇心も・・・。 そんな吉田さんがシャンソンを始めたのは70歳を過ぎてからです、彼女のトークの中にそろそろ音楽の先生から 「吉田さんもうお歳を公開してもいいんじゃないの・・・」と言われました、実はわたくしもうじき84歳になります。  会場のざわめきはもう想像つくでしょう。
何歳になっても女性は人前で歳を言いたくないものですが、吉田さんのように、にこやかに84歳なのと言えるような素敵な歳のとり方が できるような人生を送らなければと思うのです・・・が。   「シャンソンは人生そのものわたくしの人生も紆余曲折、大病もしたし 様々な出来事も乗り越えてきました・・・がこうして皆様の前でいられる今日がありことは幸せです・・・。」と長い人生を振り返えった重みのあるお言葉を聴いて、さりげなく語る吉田さんがまた魅力的でした。
*10月8日 ピアニストのお宅の小さなサロンで70人程の観客の前で彼女らしい華やかさの中でまずはじめの曲は・・・・・・セシボンから。 ピアニストは早川修司氏。     鮮やかなピンクのラメのイブニンゲに赤いレースのボレロ、白髪グレーの御髪におしゃれにカラーメッシュを入れて、はつらつとマイクを片手にセシボンを歌いながらの登場です。 続いて「 ジョリーシャボー・さくらんぼの実る頃・時は過ぎてゆく・愛の賛歌」 休憩
後半は薄いピンクのイブニングに水色のオーガンジーの透けるコートをまとって。目が覚めるような淡い美しさ! このドレスをデザインされた 伊藤綾子先生も挨拶に。
越路吹雪が大好きだという吉田さんの歌声はけして負けていない程の 気迫でした。 「小さな喫茶店・真夜中の居酒屋・聞かせてよ 愛の言葉・メケメケ・マイウエイ」
驚いた事がもうひとつ!そらは最後は最近習っているハワイアンです。 ウクレレを持ちながら 小宮秀夫先生と カイマナヒラ・タイニーバブルスをお披露目です。
正に 84歳は青春真っ最中!! 彼女を手本に素敵な80歳を迎えられるように磨いていきたいと思われた方がたも多かったはず。「 コンサートが終わったら いつでも呑めるわよ・・・釘田さん また誘って・・・!」 吉田さんの明るい声が返ってきました。 *写真をクリックすると拡大されます。

金曜日, 9月 08, 2006

♪ ブラジルフェスティバル暑い熱い一日 ♪

ミス・ブラジル?!と友人


【基本情報】
正式国名:ブラジル連邦共和国  首都:ブラジルア  人口:1億8442万人(世界5位)  国土面積:
8514876.599万平方K(日本の22.53倍)  公用語:ポルトガル語  宗教:主にカソリック教(約90%)  通貨:レアル(R$)  時差12時間(日本との)  主要都市の月別平均気温:サン・パウロ:9月25/13℃  リオ・デ・ジャネイロ:32/16℃  ブラジリア:30/16℃

9月2日(土) 千駄ヶ谷下車し外苑西通りを2・3分歩くと明治公園があります。 フェスティバルの会場はここ! 日本青年館のちょうど隣に成ります。
10時オープンです。 ”うつわくらぶ京”のグループIT会社ブラステック(ブラジルテクノロジーの略)もブースを設けて、スタッフ一同でバーベキュー・ビール・ジュース・食材の販売を行いました。

開会式には駐日ブラジル大使ご夫妻・ブラジル商業会議所会頭川上氏の挨拶からスタート。 この日の天候はTVでは曇り時々晴れとありましたが 朝からの晴天、帽子か日傘が欲しいほどの良い天気です。 私は日焼け止めをバッチリ塗っての気合入り?笑  正面奥のステージには20分間隔で生バンドが次々と入り本場ブラジルサンバ♪が炸裂!♪  私店主も友人達を招いて会場に入りました。  川上会頭婦人のご案内で会場内の説明を受けて、ブラジルの珍しいジュース・食品・料理の説明・ボランティア活動のことなどを教えて頂きましたので写真で見てください。  
この写真は砂糖の原料になる”さとうきび”をしぼりジュースにしたものです。
味はとても甘ーい 甘ーい飲み物。 昔さとうきびをかじったことが有りましたが
うーんやっぱり甘かったなーぁ。
左写真はこのフェスティバルの主催本部のNPO在日ブラジル商業会議所・ブラジル領事館本部です。
ボランティア活動の説明もしてくれました。
カラーはやっぱりブラジルカラーのイエローとグリーンですね! 手作りの可愛いマスコット人形の販売もありました。教会のシスターも詰めていましたね。

お昼頃からはかなり人出も多く どの食品店・バーベキューの店も  川上会頭婦人と倉田君です 。
長い列がいています。  私が好きなのは腸詰めを焼いたものです、ビールにピッタリなんですよ! この煙、美味しそうないい匂いでしょう。
そろそろ友人達と別れて私も 「Do・Brazil ド・ブラジル」 スタッフたちのお手伝いをすることにしました。
この「Do・Brazil ド・ブラジル」はIT会社が発信しているブラジル情報・食材・雑貨・サッカー情報ブラジルを多くの人達に知ってもらうための情報サイトです、 是非みてくださいね! ポルトガル語ぺらぺら,弁論大会で優勝したほどの張り切り店長のひかるちゃんが案内してくれます!  ブラジル大好き人間です。
3時頃から益々混んで来ました インターナショナルです世界各国の人達がこのフェスティバルに来ています、しかもステージ前はリズムに乗って踊る人達でいっぱいです!  さすがに情熱の国ですねーぇ こちらも
自然に体がリズムに合わせてステップしてしまいます。
また友人が訪ねて来てくれました。 夕方までには早くもビールやバーベキューが売切れ、 学生時代の学園祭の模擬店の乗り」ですね、 結構面白かったです。
リオ・カーニバルには及びませんが迫力あるサンバミュージックと太鼓のリズムのパレードが会場を一気に盛り上げ熱い暑い熱気の中最高のクライマックスを迎えました。
                             ブラステックのスタッフたち         
                          
ステージ前は踊る人々でいっぱいです。閉会の6時過ぎには沢山のインターナショナルな人達で盛り上がっていました。 私店長も知り合いが沢山来ていたので楽しい一日を過ごしました”みなさん ありがとう!” ちょっと疲れましたが心地よい疲れです。  *写真をクリックすると拡大されます。
                               これから飲みに行きまーす!

月曜日, 8月 14, 2006

ちょっと早い夏休み・・・!?山笠・唐津焼


博多で「追い山」を明け方見てから 乗り捨てのレンターカーを利用して、一路唐津へ一時間半程で唐津です。
右手にどこまでも続く大海原の玄界灘です。 緑の松が延々と深く続く松ばやしを抜けると前方に唐津城が現れてきます。
空は晴天、眩しいぐらいの大海原を眼下に唐津城から望むことにしました。九州はまだ梅雨中だと言うのに何と暑いぐらいの晴天 「やっぱり日頃の行いのよさ・・・・か!?*」
さきを急ぐので早速唐津焼を見に唐津駅付近から中里太郎右衛門陶房を訪れる事にしました。
「一井戸、二楽、三唐津」と呼ばれる程茶人たちの心を捉えて離さない唐津焼きは現在市内に60窯 余りもあるそうです。
【唐津焼きの起源】
室町時代末から桃山時代に掛けて松浦党首・波多氏の庇護のもと、雑陶を中心に焼かれていたのが始まりのようです。 しかし現在のような唐津焼が生まれたのは、文禄・慶長の役以降のことです。出陣した諸侯は、多くの朝鮮陶工を伴って帰国しました。彼らがもたらした蹴ろくろと連房式登り窯の新しい技術により、唐津焼は大きく発展することなります。唐津港から全国へ積み出され広まっていきました。
 斑唐津                唐津                大井戸            【唐津焼の特色】
唐津焼きの魅力はその土味です。 粗いざっくりとした感じは唐津地方の土の特徴で山から掘り出してきた土を、ほとんどてを加えずに使い、持ち味を活かすために手作りにこだわり、蹴ろくろを使っている窯元も多いようです。また 薪による登り窯で焼き上げ釉薬の持ち味を存分に引き出しています。
技法には 絵唐津・朝鮮唐津・斑唐津・粉引唐津・三島唐津・黄唐津・刷毛目唐津・櫛目唐津・
彫唐津多彩な技法があります。現在でも伝統にとらわれずに次々と新しい技法が生み出されているようです。
中里太郎右衛門陶房ギャラリーをあとに先にある しっとりと落ち着いた雰囲気の隆太窯を訪れてみました。
何故茶人たちに愛されるのか土の持つ素朴さ・温かさ・釉薬の味・土の風合い・かたちのよさが茶人の心に打つものがあるのでしょう! さて、唐津焼を堪能して 先を急ぐことに平戸へ車を走らせることにしました。