木曜日, 3月 20, 2014

【 書家・相田みつをに見る プロフェッショナルの流儀とは? 】

日 ◆


今年、生誕90年周年を迎えた
国民的書家・相田みつをさん。


誰もが一度は聞いたことのある


「つまづいたっていいじゃないか
 にんげんだもの」


という詩に見られるように、
柔らかい語り口が
特徴といえるでしょう。


しかし、それとは裏腹に
書に向かう姿勢は
実に鬼気迫るものがあったといいます。


ご子息で相田みつを美術館館長の
相田一人さんが語った
「相田みつをのプロフェッショナルの流儀」とは――。


┌────今日の注目の人─────┐



  「書家・相田みつをに見る
 プロフェッショナルの流儀とは?」


 相田一人(相田みつを美術館館長)
         
     
 ※『致知』2014年4月号
 特集「少年老い易く学成り難し」より


└────────────────┘

※対談のお相手は
 円覚寺管長・横田南嶺氏です。


相田 父の詩というのは表現が分かりやすいのが特徴でして、
   ある意味で入りやすい、間口が広いのかなと思います。


ただ作品の語り口とは裏腹に、
書に向かう姿勢は厳しかったですね。


横田 書いている時は家族でも近づけないような?


相田 それはもう、凄い緊張感があって
   側には寄れなかったです。


私の父は我がままでして、自分が一番書きたいと思う時間、
自分の気持ちが高まった時しか筆を執らないんです。


要するに気分が乗らないと筆を執らない。


ただ、筆を執らない日は一切なかったんですね。


父がよく言っていたのは、
一日書かない日があると調子が戻るまでに
十日くらい時間がかかると。


また、


「例えば十年間作品を書かなかった小説家が
 いきなり傑作を発表することはあるだろう。
 しかし十年間筆を執らなかった書家が
 カムバックしてもろくな書は絶対に書けない」


とも申しておりました。


書というのは肉体の訓練がないと、
いくら頭の中でシミュレーションしても
書けないということだと思います。


だいたい夜中のほうが気分が乗ってくるようでしたが、
ちょうどいま頃の季節は、故郷の足利は寒いんですよ。


夜更けに書いていると墨が凍ることもあったそうです。


しかし写真のように仕事場は失敗の紙の山ですから、
ちょっとでも火の気があったら一瞬で火の海です。


だからストーブなどは置かずにやっていました。


横田 お聞きするだけでも鬼気迫るものがありますね。


(中略)


相田 うちの父は色紙を嫌っておりましてね。
   晩年、講演などさせていただいた後、
   聴衆の方に「何か書いてください」と持ってこられると、
   なるべく断っていたようです。


それでもどうしてもという場合は、
その場では書かず、お預かりして
仕事場に持って帰ってきていました。


つまり、どんな書も全力で書くので、
自分の一番集中できる空間、愛用の道具でしか書かない。


預かった色紙と同じものを一箱くらい紙屋さんに注文して、
何枚も書いて一番よくできたと思われるものを
送って差し上げていました。


横田 そこまで徹底されていたのですね。


相田 はい。書に対しては一切妥協しなかったですね。
   どんなに貧乏をしても道具類は
   最高のものを買い求めていました。


「自分はプロだ」という意識が強かったようで、
プロという看板をさげているからには
4回以上個展を開いている人間でないと
名乗っちゃいけないとも言っていました。


というのは、1回目は皆がお祝いで買ってくれると言うんですね。
初めての展覧会だからお付き合いで買ってあげようと。


2回目は、前回お付き合いできなかったから今回は買うよ、
という人がいて、2回目も何とか売れるらしいんです。


しかし3回目からは実力がないと一切売れなくなる。
つまり義理買いがなくなるということです。


プロの看板をさげるからには
4回以上個展を続けていないといけないと、
十数回目の個展を終えた後に申しておりました。


  * * *


相田みつを。
いまなお多くの人々を魅了してやまない
琴線に触れる名詩の数々――。


……続きはぜひ『致知』4月号P66~P76をご一読ください。