木曜日, 10月 23, 2014


  「おまえは職人として見どころがある」

      川北良造(人間国宝)
   
      
   ※『致知』2014年11月号
     特集「魂を伝承する」より


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ここ石川県南部にある山中(現・加賀市)は、
漆器、挽物の産地として栄え、
職人の家に生まれた子供は
親の仕事を継ぐのが当たり前のことと
考えられていました。


私は母の勧めもあって蒔絵の仕事を学ぶため、
中学卒業後すぐに漆器補導所に通いましたが、
やはり挽物の職人である父の仕事が
気になって仕方がありません。


2年間続けた蒔絵の仕事をやめ、
挽物の仕事を継ごうと決心した私に対して、
父は本家で修業を積むようにと言い渡しました。


(中略)


挽物の仕事はお椀や鉢など決められた形のものを
1日に何百個とつくっていくものですが、
修業時代にはその中でこれはよくできたというものは
必ず父のもとに見せに行きました。


ところがこれなら褒めていただけるだろうと
意気揚々と持っていったものを、
父は一目見ただけで、
黙って床に打ちつけるではありませんか。


最高の出来だと思ったものに対して、
なぜそのような仕打ちをするのかと
私の心は穏やかではありません。


しかし、父がそのようなことをするには、
やはりどこかに欠点があるのではないか。


そう思い直して打ちつけられたものを拾い上げて、
その出来具合をじっくりと見直す。


そんなことが度々繰り返されました。


あれは28歳で初めて日本伝統工芸展に
出品しようとしていた時でした。


ようやく一人前の職人として独り立ちした私に、
父がたった一言、


「おまえは職人として見どころがある」


と口にしたことがありました。


それまで一度として褒められたことがないだけに
驚きながらも、私はどこに見どころがあるのかと
尋ねてみました。


「私はおまえが褒めてもらえると思って
 見せにきたものを土間に打ちつけた。

 しかし、それをすぐに拾い上げて
 一所懸命に観察して考えていた。

 その態度が職人として
 見どころがあると思っていた」


いま思えば父は私の態度をずっと観察しながら、
「この子は職人の道に適しているか」
「辛抱強く一つの道を進んでいけるか」
と心配しながら見てくれていたのでしょう。


たった一言、生涯で一度だけの褒め言葉でしたが、
その時の感動はいまも大切に胸にしまっています。


挽物の名工と呼ばれた父からは、
祖父の代から受け継がれてきた職人の仕事を学びましたが、
私の仕事の幅を広げてくださった方に、
木工芸の人間国宝・氷見晃堂先生がいらっしゃいます・・・

  * *

木工芸の神様・氷見晃堂、
そして、漆工芸の神様・松田権六から
直に教わった「仕事の神髄」「一流の条件」とは――。

……この続きは『致知』11月号 P32~P35をご一読ください。