月曜日, 10月 09, 2006

♪シャンソンは人生そのもの♪







約1ヶ月前頃にご無沙汰していた、素敵なおば様から電話が入った。  「お元気 ・・・10月8日に シャンソンのコンサートをするつもりなの、宜しかったら聴きに来て・・・気楽な感じで楽しんで頂くようなものにするつもり・・・。」  「えぇ 勿論伺ますとても楽しみだわ・・・。」
それから10日程経って彼女が我家にご自分のコンサートのチケットをわざわざ届けに来てくださる事に。  わたしは友達を誘うつもりで、 既に2人の友人を彼女の訪問に合わせて招いていました。                   人生って、人の出会いって面白いもんです。
この日我が家のリビングでお茶を飲みながら顔を合わせた4人はおおいに笑い、3年半前に出会ったNPO主催の福島・大玉村体験バスツアーを振り返っていたのです。   この体験ツアーの参加者は50人。 私達3人はそれぞれ夫婦で参加、 この主人公である素敵なおば様はシングルでいらしゃいます、上品でなかなかの美人です。 昔は恋多き・・・?!きっともてたのでしょう!と想像させる程の魅力ある方です(失礼ながら)。  彼女の名は吉田さんです、 まじかに迫っている第1回目のご自分のシャンソンコンサートの練習の為に郊外で思いっきり大声を出したく参加。  この体験ツアーは大玉村を知ってもらおうと村とNPOが企画、 蕎麦打ち・陶芸・民話のかたりべを聴く・苗植え体験を目的としたもので、夜は村長を始め村人達の厚いもてなしと交流会が開催されました。 無論私達初めての参加だし、知っている方がいる訳ではありませんでしたがこの交流会は大いに盛り上がり、お互い知らない同士再び再会を約束することになったのです。   そして私は、まもなく開かれた吉田さんの初めてのコンサートを聴きにいったのでした。 あれから3年半、 当時も感じたのですが、こんなに素敵に歳を重ねて往くには・・・相当の努力も必要でしょうし好奇心も・・・。 そんな吉田さんがシャンソンを始めたのは70歳を過ぎてからです、彼女のトークの中にそろそろ音楽の先生から 「吉田さんもうお歳を公開してもいいんじゃないの・・・」と言われました、実はわたくしもうじき84歳になります。  会場のざわめきはもう想像つくでしょう。
何歳になっても女性は人前で歳を言いたくないものですが、吉田さんのように、にこやかに84歳なのと言えるような素敵な歳のとり方が できるような人生を送らなければと思うのです・・・が。   「シャンソンは人生そのものわたくしの人生も紆余曲折、大病もしたし 様々な出来事も乗り越えてきました・・・がこうして皆様の前でいられる今日がありことは幸せです・・・。」と長い人生を振り返えった重みのあるお言葉を聴いて、さりげなく語る吉田さんがまた魅力的でした。
*10月8日 ピアニストのお宅の小さなサロンで70人程の観客の前で彼女らしい華やかさの中でまずはじめの曲は・・・・・・セシボンから。 ピアニストは早川修司氏。     鮮やかなピンクのラメのイブニンゲに赤いレースのボレロ、白髪グレーの御髪におしゃれにカラーメッシュを入れて、はつらつとマイクを片手にセシボンを歌いながらの登場です。 続いて「 ジョリーシャボー・さくらんぼの実る頃・時は過ぎてゆく・愛の賛歌」 休憩
後半は薄いピンクのイブニングに水色のオーガンジーの透けるコートをまとって。目が覚めるような淡い美しさ! このドレスをデザインされた 伊藤綾子先生も挨拶に。
越路吹雪が大好きだという吉田さんの歌声はけして負けていない程の 気迫でした。 「小さな喫茶店・真夜中の居酒屋・聞かせてよ 愛の言葉・メケメケ・マイウエイ」
驚いた事がもうひとつ!そらは最後は最近習っているハワイアンです。 ウクレレを持ちながら 小宮秀夫先生と カイマナヒラ・タイニーバブルスをお披露目です。
正に 84歳は青春真っ最中!! 彼女を手本に素敵な80歳を迎えられるように磨いていきたいと思われた方がたも多かったはず。「 コンサートが終わったら いつでも呑めるわよ・・・釘田さん また誘って・・・!」 吉田さんの明るい声が返ってきました。 *写真をクリックすると拡大されます。

金曜日, 9月 08, 2006

♪ ブラジルフェスティバル暑い熱い一日 ♪

ミス・ブラジル?!と友人


【基本情報】
正式国名:ブラジル連邦共和国  首都:ブラジルア  人口:1億8442万人(世界5位)  国土面積:
8514876.599万平方K(日本の22.53倍)  公用語:ポルトガル語  宗教:主にカソリック教(約90%)  通貨:レアル(R$)  時差12時間(日本との)  主要都市の月別平均気温:サン・パウロ:9月25/13℃  リオ・デ・ジャネイロ:32/16℃  ブラジリア:30/16℃

9月2日(土) 千駄ヶ谷下車し外苑西通りを2・3分歩くと明治公園があります。 フェスティバルの会場はここ! 日本青年館のちょうど隣に成ります。
10時オープンです。 ”うつわくらぶ京”のグループIT会社ブラステック(ブラジルテクノロジーの略)もブースを設けて、スタッフ一同でバーベキュー・ビール・ジュース・食材の販売を行いました。

開会式には駐日ブラジル大使ご夫妻・ブラジル商業会議所会頭川上氏の挨拶からスタート。 この日の天候はTVでは曇り時々晴れとありましたが 朝からの晴天、帽子か日傘が欲しいほどの良い天気です。 私は日焼け止めをバッチリ塗っての気合入り?笑  正面奥のステージには20分間隔で生バンドが次々と入り本場ブラジルサンバ♪が炸裂!♪  私店主も友人達を招いて会場に入りました。  川上会頭婦人のご案内で会場内の説明を受けて、ブラジルの珍しいジュース・食品・料理の説明・ボランティア活動のことなどを教えて頂きましたので写真で見てください。  
この写真は砂糖の原料になる”さとうきび”をしぼりジュースにしたものです。
味はとても甘ーい 甘ーい飲み物。 昔さとうきびをかじったことが有りましたが
うーんやっぱり甘かったなーぁ。
左写真はこのフェスティバルの主催本部のNPO在日ブラジル商業会議所・ブラジル領事館本部です。
ボランティア活動の説明もしてくれました。
カラーはやっぱりブラジルカラーのイエローとグリーンですね! 手作りの可愛いマスコット人形の販売もありました。教会のシスターも詰めていましたね。

お昼頃からはかなり人出も多く どの食品店・バーベキューの店も  川上会頭婦人と倉田君です 。
長い列がいています。  私が好きなのは腸詰めを焼いたものです、ビールにピッタリなんですよ! この煙、美味しそうないい匂いでしょう。
そろそろ友人達と別れて私も 「Do・Brazil ド・ブラジル」 スタッフたちのお手伝いをすることにしました。
この「Do・Brazil ド・ブラジル」はIT会社が発信しているブラジル情報・食材・雑貨・サッカー情報ブラジルを多くの人達に知ってもらうための情報サイトです、 是非みてくださいね! ポルトガル語ぺらぺら,弁論大会で優勝したほどの張り切り店長のひかるちゃんが案内してくれます!  ブラジル大好き人間です。
3時頃から益々混んで来ました インターナショナルです世界各国の人達がこのフェスティバルに来ています、しかもステージ前はリズムに乗って踊る人達でいっぱいです!  さすがに情熱の国ですねーぇ こちらも
自然に体がリズムに合わせてステップしてしまいます。
また友人が訪ねて来てくれました。 夕方までには早くもビールやバーベキューが売切れ、 学生時代の学園祭の模擬店の乗り」ですね、 結構面白かったです。
リオ・カーニバルには及びませんが迫力あるサンバミュージックと太鼓のリズムのパレードが会場を一気に盛り上げ熱い暑い熱気の中最高のクライマックスを迎えました。
                             ブラステックのスタッフたち         
                          
ステージ前は踊る人々でいっぱいです。閉会の6時過ぎには沢山のインターナショナルな人達で盛り上がっていました。 私店長も知り合いが沢山来ていたので楽しい一日を過ごしました”みなさん ありがとう!” ちょっと疲れましたが心地よい疲れです。  *写真をクリックすると拡大されます。
                               これから飲みに行きまーす!

月曜日, 8月 14, 2006

ちょっと早い夏休み・・・!?山笠・唐津焼


博多で「追い山」を明け方見てから 乗り捨てのレンターカーを利用して、一路唐津へ一時間半程で唐津です。
右手にどこまでも続く大海原の玄界灘です。 緑の松が延々と深く続く松ばやしを抜けると前方に唐津城が現れてきます。
空は晴天、眩しいぐらいの大海原を眼下に唐津城から望むことにしました。九州はまだ梅雨中だと言うのに何と暑いぐらいの晴天 「やっぱり日頃の行いのよさ・・・・か!?*」
さきを急ぐので早速唐津焼を見に唐津駅付近から中里太郎右衛門陶房を訪れる事にしました。
「一井戸、二楽、三唐津」と呼ばれる程茶人たちの心を捉えて離さない唐津焼きは現在市内に60窯 余りもあるそうです。
【唐津焼きの起源】
室町時代末から桃山時代に掛けて松浦党首・波多氏の庇護のもと、雑陶を中心に焼かれていたのが始まりのようです。 しかし現在のような唐津焼が生まれたのは、文禄・慶長の役以降のことです。出陣した諸侯は、多くの朝鮮陶工を伴って帰国しました。彼らがもたらした蹴ろくろと連房式登り窯の新しい技術により、唐津焼は大きく発展することなります。唐津港から全国へ積み出され広まっていきました。
 斑唐津                唐津                大井戸            【唐津焼の特色】
唐津焼きの魅力はその土味です。 粗いざっくりとした感じは唐津地方の土の特徴で山から掘り出してきた土を、ほとんどてを加えずに使い、持ち味を活かすために手作りにこだわり、蹴ろくろを使っている窯元も多いようです。また 薪による登り窯で焼き上げ釉薬の持ち味を存分に引き出しています。
技法には 絵唐津・朝鮮唐津・斑唐津・粉引唐津・三島唐津・黄唐津・刷毛目唐津・櫛目唐津・
彫唐津多彩な技法があります。現在でも伝統にとらわれずに次々と新しい技法が生み出されているようです。
中里太郎右衛門陶房ギャラリーをあとに先にある しっとりと落ち着いた雰囲気の隆太窯を訪れてみました。
何故茶人たちに愛されるのか土の持つ素朴さ・温かさ・釉薬の味・土の風合い・かたちのよさが茶人の心に打つものがあるのでしょう! さて、唐津焼を堪能して 先を急ぐことに平戸へ車を走らせることにしました。

金曜日, 8月 11, 2006

ちょっと早い夏休み・・・!?山笠・唐津焼


忙しさに追われて暫くブログから離れてしまいました。反省!そのせいか 早速タイトルを入力したとたん 操作ミスです。笑  ちょっと早い夏休みとでも言いましょうか7月中旬の連休を利用して佐世保にいる 息子に会う為と唐津焼きを観賞しに行きました。  初日は福岡からスタート折から博多の街は「祇園山笠」一色、この夏の祭りの準備は6月から進められているものだとか まつりは7月1日から7月15日まで。 明朝4時には山笠のクライマックスである「追い山」がおこなわれるそうだ。 と言うのも 私も主人も山笠が行われている事を まったく知らずに来たのでした。  「これはラッキー!!」
しかもTVでしか見たことがない追い山を見られるなんて 「日頃の行いが良い・・・・!?*」でしょう。  早速博多の街中を歩いてみる事に いたるとこに豪華絢爛な飾り山笠が飾られています山毎にテーマが有るようです。 前・見送りに背中合わせに飾られていますね上・下15Mはありますか 人形師の手により作られていきます。            
【山笠の起源は・・・?】                                                              山笠の起源には諸説ありますが、一般的には1241年(仁冶2年)、承天寺の開祖・聖一国師が     当時流行った疫病を退散させるために、町民が担ぐ施餓鬼棚に乗って、祈寿水(甘露水)を博多
の町にまいたとされるのが始りです。
街中ではちょうど「山見せ」があり 短めのハッピにふんどし姿の男衆や子供衆が「七流」ごとに山笠に乗った三役に挨拶を
する場面でした。 男衆のふんどし姿はなかなかセクシーです!!元若者のご長老たちも負けじとばかりに・・・。
子供衆は2・3歳の子から大人顔負けのふんどし姿なんですよ。

【博多祇園山笠は?】                                                                                                       博多の総真守・櫛田神社の祭礼。7月1日~15日博多に夏うぃ告げるまつりです。 日本三大祇園祭のひとつ。                                                     お祭り好きな私にとっては 明朝4時起きで最後のクライマックス追い山を是非見に行かねば・・・と  ちょっと興奮ぎみ・・・。
その前に夕方から 呼子の活イカづくりと活魚・お酒を美味しくいただきに行くことにしました。          
午前4時に起きてホテルのロビーに下りると既に追い山見物に出かけようとする人達が沢山
降りてきてました。「わーあ 皆早いなー・・・。」まだそとは明けていません真っ暗です。
会場となる櫛田神社前の通りには 男衆が今か今かと山をかつて流れ毎にストートを待っています それと取り囲むように歩道はラッシュ並み。
午前4:59大太鼓の合図とともに一番山笠が「櫛田入り」 山笠は境内に向け観衆を巻き込み
「博多祝い唄」の大合唱 その後須崎町の廻り止めまで約5KM、必死にかつぎ走る。
二番山笠は5時5分後5分置きにスタートして、「櫛田入り」全コースをタイムを計る
七番山笠まで。 その勇壮無比な山笠と熱気はその場ならではの醍醐味でした!
男衆たちに祝い水がどんどん掛けられる、  ひとつの山に約2000人はつき手がいて 交代で
ふんどしにぶら下げた縄をかつぎ棒に掛けて全速で走る。 これは つまずいた時や転び防止
のためだと話してくれました。 子供山も勿論あります。
全て走り廻った後は 各詰め所に集まり 美味しい祝い酒で宴席が盛り上がることでしょう!
気がつくと朝が明けていました。   「あーあやれやれ この見物人のラッシュはなんだ もう人ごみを抜けると着替えた
Tシャツは汗でびっしょりだ まいったなー・・・これから私たちも朝ごはんとしよう。」

乗り捨て方のレンターカーを利用して 一路唐津へ一時間半ほどで唐津です。玄海灘を右手に長い松林の中を走り通ると海辺に唐津城が現れてきます。 青い海原はどこまでも続きまるで絵ハガキの様です。   次回は唐津焼きから。
*クリックすると写真が拡大されます。

水曜日, 6月 21, 2006

陶器の町常滑を散歩・・・。 2

6月8日 常滑の作家さんと久しぶりに話し その後車から途中で降ろしてもらい好奇心いっぱいに散歩を楽しむことにした。 小高い丘に向かって坂道を歩き出すと黒い木造づくりの大きな廃業となった製陶工場が点在するレトロな一角が現れてくる。 その跡地は作家達の工房になったり、ギャラリーやカフェに様変わりして、唯一昔を偲ばせる物は赤茶色の古ぼけたレンガの煙突でした。  しかしどこも生活の匂いがし ゆっくりと確実に現在を息ついたいる空気を感じながら直も奥に進むんで行くと 「まーぁ可愛い誰が作ったものかなー?ユニークな怪獣たちがおどけてる・・・?」
中にあった「ギャラリーいそむら」には今回お会いしたレンタル工房の作家さん達の作品展が行われていました。  しばらく行くと
いい匂いがするなーぁ  おだんごを焼いた美味しそうな・に・お・い!
だんご茶屋の前を通る おばさんがおいしいわよって声を掛けてくれたが・・・・それは酷というもんだ(苦笑い)。
しばらく行くと廻船問屋の瀧田屋の屋敷が保存されている。 常滑は海に近い、江戸時代からの廻船問屋の当時の繁栄ぶりを顧みることができる。   あちらこちらで 土管が積まれてあったり 塀代わりに使われている風景が見られるがこの一角には「土管坂」と証した道が続く 流石常滑を感じさせ坂道だ! 歩道の模様のように見えるのが埋め込まれた土管たち。 私が通り過ぎた後でモデルさんたちがツーショットで撮影をし始めています なかなか絵になっていますね!
少し進むと町を見下ろす感じで小高い丘に立っている景色です。
そろそろ「登り窯展示工房館」に出ます、 ここはちょうど登窯の内部に入りこんだ状態に再現されてあり内部の様子がわかります。
いよいよ10本煙突の登り窯に来ました、 ちょうど窯の上部から見下ろすことができる様に石段が廻りこんであります、 当時は大きな登り窯をフルに炊き上げて土管をどんどん出荷していたのでしょう
窯の前に荷車が置いてありました。 20度の斜面地に8つの焼成室を連ねる窯で明治20年築窯され 昭和49年1月に最後に操業を停止したそうです。
それ以降は石炭窯が普及していきます。  どんなものにも時代の流れはあり進化があれば必ず
消え去っていくものがあることを この静かな登り窯を見ていると感じさせられました。
「国指定重要有形民俗文化財  登り窯」。
散歩堂の坂を下って行くと以前に見たことがある場所でした、 私の付き合いのあるもう一人の作家さんのお宅の前に出ました、本当に偶然なのでが・・・
どうやら彼女は工房で仕事をしているようです。 ちょっと声を掛けてお邪魔をしました。 約1ケ月ぶりの再会です。
駅付近まで送って頂き彼女のも別れて常滑では大きい「ギャラリー共栄窯」を覗いて見ました。 若手の作家さん達の個性のある作品が展示され 奥にはガラス展が開催中 3人展。  ちょっと休憩お茶を飲んで一休み。
最後に「ギャラリー陶美園」に立ち寄り今日始めてお会いした作家さんの作品を拝見して、 1000年の歴史がある陶器の町
常滑の散歩をおえることにしました。  日本六古窯の一つがここ常滑 瀬戸 越前 信楽 丹波 備前です。
「うつわやの小さな発見」

火曜日, 6月 20, 2006

陶器の町常滑を参歩・・・。 1

6月8日、私のショップに新しいメンバーとしてお向かいする作家さんに会う為 陶器の町で知られるここ常滑に来ました。常滑はこれで2回目。  駅前で待っていると1台の車が私の前で止まった。 にこやかに現れた彼女は私が想像していた通りの歯切れのいい明るい方だった。
早速工房にお邪魔をすることに、工房は大きな製陶工場の跡地を5人の作家達がレンタルしている
常滑は昭和の半ばまでこうした製陶工場がフル稼働していたが時代の流れで土管の製造も既に停止
され 今ではギャラリーやレンタル工房に様代わりし常滑ではけして珍しくないようだ。
彼女の工房は角にありとても明るく広い、学生の頃は油絵を描いていたと言うだけに3枚のカラフルな画風の絵が壁に掛かって一層明るさを漂わせています。 もうひとり若いお嬢さんが助手になって作陶の手伝いをれててきぱきと動いていた。 昔美術の先生をされていたことや油絵とは違った手法の日本画に惹かれて学ぶことも多かったこと 陶芸の道に進んだ切っ掛けを伺い またイスラム圏で生活されたこともあるそうで 彼女の作品の一旦にはどことなくその雰囲気が感じるものもあるようだ。 作品の依頼をお願いしてそろそろお暇をすることに時間はアットいう間に過ぎてしまった。
もうひとり私がお世話になっている作家さんが工房に向かいに来てくださり 一気に部屋の明るさは
倍になった。 と言うのも 作家さん同士お知り合いである。 
ここ常滑は古い歴史のある町で新旧多くの作家達が切磋琢磨しているが若い作家達の交流は盛んで
お互いに知り合い同士も多いようです。 久ぶりにお会いし話をした後 、前回訪れた時は大雨が降り出して散歩を楽しめなかった分好奇心いっぱいに回って見るつもりで途中で降ろしてもらいお別れすることに。

水曜日, 5月 24, 2006

笠間、益子陶器まつりの旅

  「うつわやの小さな発見」

4/29~5/7 笠間陶炎祭 芸術の森公園
世田谷・・・代々木上原ーーー地下鉄千代田線・・・柏・・・友部ーーー笠間駅下車・・BUSで芸術の森へ
4・29 
天候は今のところ曇りなれど雨はまだ大丈夫。
昔から笠間 益子は陶器のメッカ、ごの家にもあるような分厚い味噌瓶やら塩壷ものが作陶されていた産地で名高いが 現代は若い陶芸家や海外からも土の魅力に誘われた多くの外国人が陶芸で活躍されています。 もう一つ、この地で有名なのが笠間稲荷神社です。
日本三代稲荷の一つです。
この時期は境内につつじの濃いピンクの花や赤 白と色を添えて春のひと時を楽しませてくれる。
それを目当ての観光客もとても多い。  私は駅から会場行きのBUSに乗り稲荷前、日動前を経由して
小高い丘にある会場へと進んで行く。
連休初日ではまずまずの人出であるうか。 この地は東京から近いので一時は毎月に様に車を飛ばして作家や作品を観に来ていたもので、お決まりのギャラリーを覗いては感性を蘇がえせていたものでした。     公園の参道脇に地元の小学生達が作った各々のお面がジグザグの掲示板に何連も飾られています。 ユニークでカラフルなお面、よく見ると横に 「○○賞」とされたものも 自分のお顔?かな 
思わず(笑)目を楽しませてくれます。
いよいよ会場入口、網の目のように窯元 作家 出店の並ぶ地図を片手にまずは、どんどん見ながらお目当ての作家さんや陶器に出合わないか中へ進んで行くことに 1時間2時間はアットいう間。  中央に舞台があり賑やかにバンドが入っている。
気に入った作品に出会った時の嬉しさは何ともいえない。  作家さんと言葉をかわし取り合えず器を買ってみて実際に使ってみたらどんだろうか・・・? 途中から 天気予報通りに雨が降り始めた 一気に空気がヒンヤリと澄んで涼しさが増してきた。
昼頃から回って夕方の最終BUSまで時間が短く感じた。
一路笠間駅へ、この日は水戸のホテルに宿泊を予約している。 お疲れ様!
4/30 (2日目)
水戸・・・下館 乗り換え・・・もうか鉄道 SL C11235 乗車・・・益子下車ーーー徒歩15分益子陶器祭り会場
思いがけなくSL C11235に乗車ができしばしSL小旅行。 無論車内は家族づれでいっぱい。 線路脇には三脚付きカメラマンがこのシャッターチャンスを捉え様と構えている風景が・・・。
懐かしい汽笛の「ポォー ポーォ」のむせびと共に鯉のぼりと八重桜が咲きほこる中を春の陽を浴びながら汽笛の灰もまた風流というものか。   まもなく益子駅SLと記念写真を撮って(笑)。
駅から徒歩15分程で中心部へ陶庫、もえぎの前を通って 裏側へ入ると若い作家さん達がテントを張って個性溢れる器たちを並べて
いる。   私はある作家に出会いたいなーと思いながら一軒一軒見て歩いていました・・・。 念じれば叶うもの名前も出ていないし作家の顔も知らないが この並べられた作品は間違えなく 彼の作品と確信する!
無精ひげにもじゃもじゃヘアーの彼に 「○○さんですか?」と尋ねてみた。  「はい そうです」 念じれば叶うはその通りであった。
始めはブッキラボウな彼であったが話しをしている内に笑顔になり 仕舞いには携帯番号まで教えてくれました。
というのは地方から出店に来ている作家さんと(私の付き合いのある作家さんと)彼は友人同士だった。
「今度は工房にお邪魔しますね・・・。」  彼の作品を買ってその場を離れました。
次は私の付き合いのある作家のところへと訪ねた。 「主人の自己流料理」の愛読者なのと(私のショップの中のコラム)私の顔を見ながら挨拶をかわし 主人の筍ご飯を始めてチャレンジして作ってみたと いつもの明るい笑顔の彼女は楽しそうにおしゃべりをしてくれた。
  「今日はお互いご主人がいないけどどうしたの?」 彼女も彼女のご主人も有名な陶芸家である。  「友人の結婚式に招かれて・・・
今日はきていないの。」  「筍のご主人は?」 「今頃は鹿児島の山で大好きな筍を掘っている頃よ・・・。」  「へーぇ ホント・・・!!」
注文した作品の話しをし まっすぐに土と向き合っている作家魂を感じながらそろそろ彼女ともお別れ、 夜は笠間にジャズを聴きに行くのよ・・・。  ジャズと聞けば私も聴きたいがぼちぼち今日中には帰途につかねば。
次に超売れっ子作家を回って、 追い立てられながら作陶している苦労話しを聞いて・・・。それはそれで大変だろうなーと思いながら、
私の両手には幾つものビニール袋がいっはいになっていた。
下館・・・小山・・・大宮ーーー新宿・・・世田谷   やっと帰り着きました。 お疲れ様!!                                                         「うつわやの小さな発見」